非実在青少年・二次元との恋愛と同意

Twitterで、「二次元の人間は現実の人間と同意を得られないのだから、無理やり扇情的な服を着せることは、性的搾取に繋がる」なる意見を見た。

“二次元の人間なんか存在しないんだから、性的搾取なんかない”と言ってしまえば終わりだ。だが、あえて終わらせずに議論を深めていく。

二次元の子への恋

ラディカルに考えていくと、現実の女の子との恋愛も、二次元の女の子(男の子でも、無機物でも同じ)でも、恋していることに変わりはない。

“恋愛関係にある”とは言えないかも知れないが、恋愛関係や性的関係などそもそも存在しないとすれば、二次元ー三次元の恋愛と、三次元ー三次元の恋愛の垣根はなくなる。

それに、今ここの”現実世界”に存在しないから、同意など必要ないと言い切ってしまうと、死者の愚弄などという概念はなくなる。

死者と二次元

あいちトリエンナーレの騒動が少し前に話題となったが、特攻隊員にしろ昭和天皇にしろ、今は同意やら意思表示やらを科学的には確定できない。憑霊術を権威あるものとして認めれば別だが…。

遺族にしたって、昭和天皇と個人的きフィジカルな交流があった人はまだ存命でも、これが源頼朝までになると、確実にいない。

(あの世から戦国武将が蘇ったら、たぶん彼らは大河ドラマと戦国無双に物言いする)

しかし、仮に人物Aが源頼朝を侮辱に侮辱を重ねた芸術的展示物をミュージアムに陳列したとして、憤る人は絶対に出てくる。源頼朝でなく、それが鉄腕アトムであっても同様である。

二次元の人物に、出演の許可どりは行われない。あるとすれば、著作権や商標権との争いである。ディズニーと東方では著作権に関する考え方が完全に違うが、どちらも一応権利は同じく所有している。

だが、パワーバランスだけに焦点を当てたとき、二次元の人物と三次元の人物にある関係は、片方は一方的に死すら命じられるが、もう片方は抗議の声すら挙げられない主人と奴隷異常の非対称的な関係が見えてくる。

恋愛・性愛から不確定要素を排除すると、残るのはフェティッシュである。

二次元への恋愛が、例え対象が人物であろうと、性的モノ化となるのは上述の理由による。

フェティッシュを公共の目に晒すこと

足フェチだとかうなじフェチだとか、体のパーツに一部部のみを被写体に設定したポスターが、市中に溢れる社会に対して、反発を覚えることに正当性はある。

二次元ポスターへの反発とその反論の、噛み合わなさは、「あなたが被写体なわけではない」なる反論に対し、素直に「私は傷ついている」と言えない事情に起因している。

反論側も、表現の自由とは本質的に誰かを傷つける自由であるから、「傷つけることも含めて、表現の自由だ」と言えば良いのだが、それを言うと立場上ハラスメントの肯定になるので、「これで傷つくあなたはおかしい」と、感性の否定をしてしまう。

感性の否定は、いかなるシチュエーションにおいても不毛である。

二次元の非実写性 

二次元の人物がフェティッシュであるという意見は、非実写性にも要求できる。

不気味なくらい巨大な目だとか、シワのない顔だとか。

オタク=ロリコン という偏見は、そんなに偏見でもない。巨大な目も、シワのない顔も、あるかどうか分からない鼻も、幼児の特徴だからである。

二次元の女の子・男の子に憧れる子供は何もおかしくないが、これらに恋をしてしまう人に対して、気持ち悪いと感じる感性に、狂気はない。

そもそも、人間でないものに興奮したり恋したりしているのに、そこに引っかかって欲しい。

涜神的同人

キリストが現代に蘇り、猥褻な陵辱を受けるというポルノを見かけたことがあるが、こういったものがコミケで販売される状況を擁護しない。

表現の自由戦士と呼ばれる人たちであっても、「キリストの同人を、公共の場で堂々と販売する自由」を擁護するラディカルな人はなかなかいない。

「表現の自由を守りたいが、リミットをどこに設定するべきか?」

この問いを考えてみるだけでも、不毛な議論は減らせるだろう。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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