(養子ではなく)実子が欲しいという願望と托卵行為の是非

懐胎・妊娠のためには男女のつがいが必要である。一人の女性と二人の男性から同時に双子が生まれることもあるが、それも元は2人のつがいである。

だが、自分の子供だと思ったらそうではなかったなる事態は往々にして発生する。女性ではまずないが、男性なら我々が考えているよりは頻繁に。

ここで浮かぶ問いが、実子でなくて問題はあるのかということだ。愛する人があなた以外の子供を育てたいのなら、愛の名の下にその托卵行為を受け入れるべきではないのか?

子どもが欲しいという願い

(生物学的な意味での)父親になりたい、母親になりたいという願いは、いったいどこから来るのか。

「自分の遺伝子を残したいから」というのも一つの回答だが、でも「自分の遺伝子を残したい理由」がなんなのかそのまま疑問が取り残されてしまう。

(問いを言い換えると、「養子ではダメなのか」)

自分の娘が例えば夫ではない子どもの子を妊娠したとして、モラルの観点から憤りや焦燥を感じたりはするだろうが、自分の妻が他人の子を妊娠したときとは状況が違う。実子である娘が誰の子を産もうと、その子はあなたの実孫であるからだ。

ここで空想実験的なシチュエーションを立てる。仮にあなたの(生物学的な意味での)実子のフェノタイプ(形質)や能力、才能などに遺伝性が全くない場合(人類の形質は受け継がれるが、あなた個人からはレガシーがなにもない)、現時点の現人類ほど実子にこだわりはしないだろう。

原初的な本能、生殖願望(人間に植え付けられたプログラムのように作動する)の切り口から実子が欲しいという願いを説明してもよさそうだが、それだけではないだろう。人間は本能が壊れた生き物であるからなのだ。でなければ自慰行為や避妊しながらの交尾がこれほど流行っているわけがない。

現在はまだ実現されていないが、仮に人間のクローン技術が発展し、ノーリスクで私という人間を複製できるようになれば、どれだけの人がその方法で「実子」を授かるだろうか?

自己複製クローン技術が確立した世界軸においては、妻との間に実施を設ける行為は「自分を半分素材にした擬似的な自己複製行為」となる。

あなたが望むそのままの子どもが、デザイナーベイビーを注文通りにオーダーできる未来が来たとして、他人の卵子と精子を注文するだろうか?

私の遺伝子で到達できる限界値が、希望の条件の80しか達成できず、他人ならば100達成できるとしても、人は自分の遺伝子で実子を残そうとする未来が見える。

……私に関して言えば、子どもはいてもいなくても良いと考えているが、養子と実子のどちらが欲しいかと尋ねられれば、やはり実子である。知り合いが交通事故で亡くなって、子どもを引き取らざるを得なくなったなどのシチュエーションであれば喜んで養子をとるだろうが、実施を優先するマインドは変わらない。

現時点においてクローン技術は存在しない。ベイビーデザイン技術もしかり。しかし、自己複製行為の代替品としてしか、私は実子願望を規定できない。養親を必要とする子は世界に溢れているのだ。なぜわざわざ実子を欲するのか。

そもそもの話

アメリカだと事情は違うが、日本だと養子を受け入れるという発想がそもそもない。養子縁組大国のアメリカにしたって、独身男性だと養子受け入れはやはり厳しい。

私の父親が、アパートの土地を買おうとしている。割高なのは確かだが、私は何も言わないようにしている。父親は土地の売買で儲けたいのではなくて、人生において張り合いがないため不動産投資に精を出していることを知っている。

ようは、事業がやりたいのである。毎日働いて稼ぐのではなく、割に会わなくとも不労所得を得るという目標のために土地を購入する。

子どもを持つというのも、この私の父親のケースと似ている。毎日の頑張りを個人・夫婦で消費するのではなく、次世代にレガシーとして遺そうとする欲望。誰かのために、恒久の資産のために頑張りたいという願望が、人間にはある。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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