属人的判断と権威を擁護する

会社の諸業務は「脱属人化」しなければならないとよく言われる。ある業務にマニュアルが存在しない、あるいは存在していても不十分であり、業務を遂行できるのが特定の人(あるいは人々)であったとき、その特定の人が会社を去ってしまうと該当業務を継続できないからである。

「属人化」という言葉は、社会人が特定の状況でしか使わない言葉だが、「属人」という言葉は、もともと法律用語であるらしい。意味は「人を基準とすること」。

ポジショントーカーというレッテル

仮想通貨の”価値”は、需要と供給で成り立っており、「欲しい(使いたい)」という人が多ければ多いほど、その通貨の価値はあがる。つまり、仮想通貨の価値を上げたければ、その仮想通貨の購入を促せば良い。

自分がすでに所有していたりする金融資産などの価値のつり上げを狙った言説(あるいは、言説の流布)は、「ポジショントーク」と呼ばれている。

「ポジショントーク」は使用範囲を拡大しており、最近は「立場から言説を展開すること」くらいのゆるい意味である。

レッテルーーオランダ語でラベルを指すらしいが、先程上げた「ポジショントーク」も、レッテル貼りの際によく使われる単語だ。ほかには「人種差別主義者」だとか「右翼」「左翼」「ブスのひがみ」「白人至上主義者」なども、”レッテル貼り”の際に頻繁に使われるワードだ。

また、政治的なredditのスレッド・YouTube動画のコメントなどでよく見る「tribalism/triblistic」(日本語だと「部族主義/部族主義的」)も、レッテル張り/ポジショントーク/属人的判断の類語である。排他的で、「この人が言ってるから正しい」「この人が言っているから間違いだ」と判断する態度は、戒めるべきである。

権威擁護

わたしはジレンマに陥っている。

「この人が言っているから正しい」「この人が言っているから間違いだ」という判断に対して、わたしは素直に反発できる。

ただ「この人が言ってるから信用できる/できない」という判断は、私もよくしているからだ。あるいは「グリコのお菓子だからきっと美味しいだろう」「ユニクロの服だから長持ちするはずだ」「橋本治の本だからきっと面白いだろう」。

権威(Authority)と信用(Credit)を同一のものとして扱うと良くないのはわかるが、この2つは隣接した概念だろうという確信がある。

私はこの「権威を否定するポーズをとってみせながら、”信用”に応じた先入観をもっている自分」を、いつか自己省察・解剖するつもりだ。

部族主義的であることは、きっと心地がいい

部族主義者は、帰属意識をクリアに内面化できている。ちょっとした羨ましさを感じる

きっとそれは心地がいいし、不安だとか悩みがうんと少ない状態だろう。

  • 部族主義
  • レッテル貼り
  • 属人的判断・属人主義
  • ポジショントーク
  • 権威主義

これらを批判したところで、人間は本質的に不安を避ける存在である以上、その批判の言葉は大して届かない。

(権威主義があるなら、”信用主義”もあるだろうか?)

「“権威主義”は、徹底して排除すべきものではなく、程度問題である」と、言い放っていいものだろうか?

(”属人的判断”に関しても同様に)

いつか、実用面から見た「レッテル貼り」や「部族主義」の有用性を追求したい。

なんとなくイメージがあるのだが、信用だとか権威の概念を人間の認知メカニズムから完全に排除・アンインストールしてしまうと、とても非効率な検索エンジンができてしまうような気がしないでもない。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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