スポーツにおけるスキルと身体能力は分離できるか

NBAプレイヤーであるジェームズ・ハーデンの発言。「俺はどのようにバスケをするか、スキルを学ぶ必要があった。俺も身長が7フィートあればよかった。走ってダンクをする。それにスキルはいらない」。(出典はこちら

ハーデンは名前を出してはいないが、”走ってダンクをする”男はヤニス・アデトクンボを指していることは明らかである。7フィート(約213cm)には足りないが、211cmもあるギリシャの巨人。背が高いだけならまだしも、身体能力もズバ抜けている。

2021年のNBAシーズンを優勝したのは、このギリシャの超人を擁するミルウォーキー・バックスで、ハーデンは早々にプレイオフ争いから脱落している。バスケットボールはチームスポーツであるため、チームの成績を一人に背負わせることは不適当だが、「走ってダンクをするだけの男」がリングを手にしているのは確かである。

ハーデンのみならず少なからぬNBAファンは、ヤニスにはスキルがない=No Skill と認識している。流石にNo Skillは言い過ぎだとしても、「least skilled MVP」(MVPを獲得した選手中もっともスキルがない)とはよく言われている。

(ヤニスのユーロステップは見事である)

だが、いわゆる”スキル”と身体能力を分けて考えることは難しい。私は、80代の人物がメジャースポーツのプロシーンで活躍できるだろうとは信じない。スキル=技術を再現するには筋力が必要だからである。

Raw Athleticism という概念

アメリカのスポーツファン間で用いられるRaw Athleticism なる概念は興味深い。直訳すれば「生の身体能力」になる。

スポーツ、または何らかの身体操作を「技術」抜きに語ることはできない。もっともシンプルな競技である短距離走でさえもスキルは大いに影響する。ブラジリアン柔術ほど「スキル」は影響しないだろうが、それでもゼロではない。

Raw Athleticism なる概念は民間で自然発生したものであり、ゆえに明確な定義は存在しないが、使われ方・用いられ方としては、「パフォーマンス(成績)からスキルを引いたもの」がもっとも近いだろう。Athleticism =身体能力とほぼ同義だが、Raw Athleticism のRawは、”身体能力”をスキルを抜きに抽出することはできないことが強調・含意されている。

身体能力の定義と概念

台湾のある男が、米粒にポートレイトを描いてそれを販売している。並大抵の器用さではない。生涯これを練習したとしたとしても、この精密さで作業できるかどうかわからない。才能・素質が必要だろう。

一般的な身体能力=Athleticismの範疇・概念には含まれないだろうが、器用さだって素質・才能は各人で異なるのだから、身体能力に含めて考えてもそれほどおかしくはない。

スポーツにおける技術=スキルとは何だろうかと考えだしても明確に定義のようなものを私は提出できないが、いわゆるスキルにおいても才能・天稟は作用する。ヨーイドンで同じ環境で同じ練習をしても差はつく。

思うに、スキルの要素として「習得に反復練習・長期間の期間を要する身体操作」であることが抜き出せる。また、「瞬発力や膂力にあまり頼らない身体操作」であるとも表現できる。

どんな”スキル”であっても身体能力に依存しない技術はないと信じているが、ゴルフなどのように比較的年齢を重ねても活躍できる種目はスポーツの技術的側面が強調されやすい。

逆に、アメリカンフットボールのような、十年練習してきた細身の選手よりも、昨日アメフトを始めた188cm100kgの筋肉ダルマがより活躍する可能性の高い競技においては、身体能力面が強調されやすい。

(NBA・NFLには、十五歳や十八歳でスポーツを始めてトップクラスになった選手が少なくない。MLBにおいても十五歳から野球を始めた選手が二名いるが、1000人近くメジャーリーガーがいるうちの二名である) 

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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