気晴らしと気分転換

やるべきことを後回しにする性格だ。宿題にしろ仕事にしろ、余裕のあるときはやらず、間に合うか間に合わないかのタイミングでタスク処理にとりかかってしまう。

この性格に自己嫌悪を感じるのだが、性格というのは中々変わらないものらしく、自己嫌悪を感じだして十年以上経つが、未だに変わっていない。

直感的に、この自分の態度はナルシスティックだと思う。学ぶべきこと、わからないことは多いのに、いつまでたっても学ぼうとせず、そのくせずっと自分は賢いつもりでいる。

自分の可能性を全否定するよりはマシだと思うが、自分の可能性を信じているのにも関わらず、未来を切り開こうとしない自分にずっとイライラしている。

気晴らしについて

思考が煮詰まってきたとき、嫌気がさしたとき、よくあるアドバイスは「違うことをしなさい」だ。

実際にこの方法は有効的で、何もアイデアが思い浮かばないとき、散歩をしたりコーヒーを飲んだりすると、新たな視点からアイデアが降ってくるというのは分かる。

しかし、私が陥っているシチュエーションとは、仕事・タスクの十倍の時間を要する気晴らしである。一日働けば、十日休むライフスタイルを送っている。

クソだと思う。

能動的なアクション(行動に労力を伴うもの)をひたすらに避ける傾向があり、高校と大学を卒業できた自分に驚いている。

なんでこんな性格なのかは分からない。努力が嫌いなのは子供の頃からそうだった。ちなみにだが、父親も母親も似たような性格で、弟と妹も同様にそうだ。

危機感がないのだろうか?

危機感がなく、気力が充実していない…

打開策を自分で見つけられるだろうか?

人生のターニングポイントとなるような出来事があり、その影響でそれまでの腐った生活から脱却する・したというストーリーは、巷に溢れている。

私・我々は、その類の改心・転向にシニカルであるべきだろうか?

「海外旅行で人生観が変わった」といった話をしてきた連中は、一人残らず「ならず者」だった。海外見聞を神秘体験かのように語ってきた連中を何人も知っている。

そいつらの雰囲気が嫌いだ。結局のところ「パワースポットに行って悟りを開いてきた」と主張しているだけな奴らである。そしてその「悟り」や「仏性」のようなものを否定すると、「実際に体験していないからお前には分からないんだ」と否定される。

例で挙げた海外旅行は一つの例でしかない。「若い頃の苦労」なども、代表的な神秘体験だろう。

神秘体験を俺にくれ

人生観や生き方、価値観を根本から変えるような出来事は起こりえないと信じているわけではない。

悔しいのは、自分にそれが起こらないことだ。

言葉遊びに聞こえるかも知れないが、自分に足りないのは、自己否定なき自己憎悪な気がする。

自分の可能性を完全否定することなく、自分を心の底から憎悪の対象とできれば、俺(あるいは我々)は変われるだろうか。

自分に対して怒りを継続的にぶつけることは、幸せを副産物として発生させられるだろうか……。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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