それは人形なのか 暗号=コードなのかメタファーなのか

※映画「ムーラン」アニメ版のネタバレをちょっと含む

映画「ムーラン」(アニメ版)に、女の子の人形が出てくる。村ごと焼かれた雪原の村跡地に、女の子の人形がポツンとおいてあり、ムーランはそれを拾って、村の即席墓地に捧げるというシーンがある。

映画「ムーラン」は、私の大のお気に入りの映画なので頻繁に見返すのだが、このシーンに出てくる女の子の人形は、おそらくただの人形ではないのだろうなと分かった・あるいは、そう解釈するようになった。

子供のころには、気づけなかったことである。

女の子の人形は、それを所持していた女児を暗示している

これが、もっとも正統派で無理のない解釈だろう。人形遊びをするのは、主に男児ではなく女児である。そして、その人形の性別が女の子らしければ、なおさらそうだ

つまり、路傍に落ちている女の子の人形は、かつてその人形で遊んでいた女の子の存在を、遠回りに、間接的に描写している(と、解釈できる)。

ただ落ちているだけなら、「落としただけ」の解釈もできるが、残念ながら村は全焼している。生き残りもいない。

(ディズニー映画としては珍しく、ジェノサイド行為を行うかなりシリアスなヴィランがムーランには登場する)

また、この読みを言い換えて

女の子の人形は、そのムラで女の子が襲撃の犠牲者になったことの暗示・暗喩である

と、することもできる。

女の子の人形とは、女の子の死体の暗号=コードである

デッドライジングというゲームに、ローラーコースターに乗せられたズタボロの男の子の人形が出てくる。

ちなみにこのシーンは中ボスとバトル前のシーンで、その中ボスは血ぬるられた刀を持ってる。

開発段階では、そのまま男の子の惨殺死体だったそうだが、コンプライアンスと企業モラル的にアウトになり、人形になったらしい。

だが、このシーンに出てくる人形を、ほんとうは子供の死体なのだと読むことは不自然では無い。あくまでも慣習的な読み方ではあるが、挿入が一シーンであり、ムーランの時のような人形であることを前提としたムーブ(手に持って運ぶ)などがなく、幻想・夢のように一瞬で切り取られている。

これは、ミュージカルやオペラの歌唱シーンは、物語的には実際には歌っていないとの読みと同質である。

ただの人形である

もちろん、そう見ることも可能である。だが、そんなシーンをわざわざ長尺で観客に見せてどうするのだ。

私は子供の頃、この「ただの人形説」で映画を見ていた。ディズニーは上手いなと思うのだが、大人になって見返すと、見方が変わるシーンを必ず映画のどこかで挟んでいる。

なぜムーランが人形を備えたのか。拾い上げたのか。”ただの人形”なら、そんなことをする動機がない。

この”ただの人形”という解釈は、幼少時の私が焼き払われた村を、ただの山火事と勘違いしていたことに起因する。

また、”人形”というオブジェクトのもつ性格性を、何一つ感知できていなかった。例えるならば、”道端で拾ったレシートを、ゴミ箱に捨てる”シーンとして見ていた。

ムーランは綺麗好きだが、そういうシーンではない。

物語とオブジェクト・出来事

「映画・小説中に雷がなれば、それは不吉なことが今後起こることを暗示している」

この読み方・解釈方法は、メタファーではなく慣用的・クリシェ・定型表現である。

人は、雷が鳴ったシーンを挿入した上で、何事もなかったかのように牧歌的な幸せな生活物語をかける。

作者が「これはこういう意味です」と、権威化・合法化する手続きを経ないで書かなければ、メタファー表現は解釈を制限できない。

話はズレるが、JKローリングがハリーポッターに関して、後日談的にあのシーンはこういうことで…と語るのは、ご法度である。俺はそのJKローリングの場外設定を無視する。

(作品の設定集など、積極的に無視するべきである)

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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