最強の格闘技がないことの証明

kai kalhhによるPixabayからの画像

私は格闘技=コンバットスポーツが好きだ。マーシャルアーツも好きだ。個人競技も、格闘技ほどではないが好きで、野球も好きだ。野球およびクリケットは「変則的個人競技」に分類され得る。

友人との会話で頻繁にK-1だとかPRIDE FC、UFC、ボクシングなどの話題を挙げている人なら、必ず聞かれる質問がある。

「最強の格闘技って何?」である。

今回は、なぜ「最強の格闘技」が存在しないのか、また格闘家の「強さ」とは何なのかを述べ伝える。

最強の格闘技が存在しないワケ

ボクサーとキックボクサーが対戦することになった。問題になるのはルールである。ボクシングルールなら十中八九ボクサーが勝つだろうし、逆もまた然りだろう。

(K-1初期には、数多くの『ボクサー』が参戦していたことを思い出してほしい)

「専門競技」で勝つのは当然だろうから、ボクサーとキックボクサーを総合格闘技(MMA)で対戦させてはどうだろうか?この場合は、キックボクサーがより多くの勝利を集めるのは間違いない。なぜなら、ボクサーはキック(蹴り)の練習をしていないし、ローキックのカット方法もろくに分からないだろうからだ。

しかし、仮にこの両者を「片手によるパンチのみが許可されたボクシング」で対戦させるとしよう。このケースでは、ボクサーがより多くの勝利を集めるだろう。

では、「路上で突発的な喧嘩」が起こったら?答えは『「柔道の心得がある総合格闘家」が勝つ』である。禅問答みたいになってしまったが、いわゆる「喧嘩」の想定は、「最強の格闘技」を考察するにあたって、重要なワードとなる。

喧嘩に勝ちたいなら

身もふたもないこと、同語反復的に語ることを許していただきたいのだが、路上における最強の格闘技は「路上の喧嘩を想定した格闘技」だ。

現実に即した言説を展開すると、何か一つ格闘技を真摯に学んでいれば、路上での喧嘩に負けることはまずない。

それに、路上で喧嘩をふっかけられたとき、生存確率を上げたいのならば、中距離走を極めるのが一番である。400mも走れば、まずそこらへんのチンピラは追ってこないし、追う能力もない。

“格闘技”を分解する

格闘技とは、あるいはスポーツとはと言い換えてもよいが、”制約”である。格闘技のルールブックに「あなたはこれをしても良い」という記述があったとしても、本質的に格闘技のルールとは「あなたはこれをしてはならない」の記述の束で構成されている。

目を突いてはならない、金的を狙って打撃を繰り出してはならない、噛み付いてはならない、殴ってはならない、手を使ってはならない、打撃を当ててはならない…etc。

“制約”と並んで格闘技を構成する本質的要素があり、それは”勝利(敗北)の条件である”。背中がついたら負け、地面に倒れたのち10カウント以内に立ち上がらねば負け、”ポイント”を対戦相手よりも多く取られていれば負け/より多くとっていれば勝ち…etc。

「最強の格闘技は何か?」という問いとは、「もっとも強い制約・勝利条件を持つ格闘技とは何か」、「ボクシングとキックボクシングのどっちが強い?」とは「ボクシングの制約・勝利条件と、キックボクシングの制約・勝利条件のどっちが強い?」と問うているようなものだ。

なぜそんな問いが発生するのか

この世界が見たままに存在すると信じる態度を「素朴実在論」という。概念に過ぎないものを「ある」と認識してしまうので、そのような問いが発生してしまうのだ。

ワード“格闘技”のややこしさとは、通常の普通名詞からも少しズレていることだ。

例えば、”イノシシ”。イノシシとはあくまでも普通名詞であって、我々が”イノシシ”として規定・認識しているものの総称に過ぎない。

しかし、個々の”ボクサー”の総称は”ボクシング”ではない。ここにややこしさがある。もしも、個々のボクサーの総称が”ボクシング”ならば、「最強の格闘技…」なる問いはナンセンスではなくなる。

格闘技における強さとは何か

ウサイン・ボルトは「最速の男」と呼ばれており、そう認識されている。彼が何度か100m走で「敗北」しているのにもかかわらず。

「強い」とみなされている格闘家の共通点は、パンチが強いことでも、スタミナがあることでもない。「負けていない」という履歴である。

(「一度も負けていない」ではなく、「比較的負けていない」)

しかし、陸上競技においては勝ち負けの比率ではなく、「最高到達記録」がその競技者の最重要履歴になる。ここに必然性はあるだろうか?最高到達記録ではなく、勝率によって陸上競技者が評価される世界…は、存在しそうではある。現に、競馬・競輪・ボートレースなどはそのような評価軸が支配的だ。

格闘技と陸上競技の違いとして

  • 対戦競技であるかないか
  • 記録競技であるかないか

この2つが挙げられるだろう。

話を戻して、強さとは何か説明する。格闘技において「強い」とは、「勝利の期待値が高い」ことを意味する。逆に弱いとは「勝利の期待値が低い」。

「強さ」をある固定された状態として認識してしまうと、強弱を”寒暖”のように考えてしまうと、そこを取り違えてしまうと、関係でしかないものを”性質”として認識してしまうことになる。個人崇拝の起源は、ここにある。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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