コメディとサスペンス=ホラーの分岐点

桂枝雀は、笑いを「緊張の緩和」だと言った。「緊張」というのは、「本番前に緊張する」の”緊張”と重なっているが、もっと人間の恒常状態を指す言葉だ。

(笑いは、人間がリラックスした状態でも発現しうる)

鑑賞者の”笑い”の創出を主たる目的として作られたコンテンツを「コメディ」とする。

では、コメディに近いが、コメディではないものはあるだろうか?

「サスペンス」あるいは「サスペンス=ホラー」。

「隣接したジャンル」=「似ているもの」を比較することは、双方の違いを浮かび上がらせて、二項対立の両軸の理解を深めることに繋がる。

(ハラハラに超常現象が絡むとホラーで、ハラハラが一般常識内の物理現象で構成されているなら、サスペンスとする)

コメディと「サスペンス=ホラー」はどう違うのか。

サスペンスとコメディの違い

桂枝雀は、「喜び」を「笑い」の上位の感情としたが、サスペンスとコメディの違いは、そのまま「うれしい」と「おもしろい(funny)」の違いとリンクしている。

なにか”不安感”を引き起こす問題があり、それが解決したとき、我々は「嬉しい」と感じる。

「三日前の夜中、見知らぬ男にストーキングされたが、振り返ってその男を見てみると親父だった」という話が、会社の飲みの席で披露されたとする。

これは、我々第三者が聞く分には「笑い話」になるが、リアルタイムで体験している当事者からは、「笑い」に繋がりにくい。自分の安否が脅かされているからである。

オーディエンスである第三者は、話を後から聞いている。

そして話者がエピソードで脅かされた当事者であったとき、その話者の安否は既に確認されている。つまり「その男から甚大な加害行為を加えられた」という結果が起こっていないことを、オーディエンスは分かっている。

サスペンスとコメディの分岐点

サスペンスとコメディはどこで分岐するのだろうか?例に上げた話だと「三日前の夜中、見知らぬ男にストーキングされた」ところまでは、ニュートラルである。未分状態。

もちろん、それ以前の文脈(身振り手振り、話者、発表する場所)などで、オーディエンスの推論(サスペンスなのか?コメディなのか?)を極端に偏らせることもできるだろう)。

        サスペンス

  • ニュートラル  

        コメディ  

話者がストーカーをとっちめて、やっつけてやったという話なら、そのサスペンスは終わるが、見知らぬ男にストーキングされ、そのまま見失ったという話なら、サスペンスは継続される。

この「分岐点」は観測者がいない仮想的な「神の視点」、あるいは事後的にオーディエンス各々から判断・決定されるものだ。

「喜び」と「笑い」で分岐するポイント

笑いという感情には、持続性がない。感情を快と不快に分けたならば、笑いは「快」に分類されるだろうが、怒りやや悲しみ、そして喜びとは性質が違う。

「笑い」というのは「驚き」という感情と近い。持続せず、瞬間的にしか発生しない。笑いも同様である。

「笑いはなぜ瞬間的な感情なのか?」と問いを立てても仕方ない。瞬間的に発生する、持続しない「快」の感情が笑いだからだ。

動物も「驚く」が、そのあとに警戒したり、または驚異となる異変は起こってないと判断し、警戒を解いたりする。

「驚き」の後、人と動物は警戒する。警戒の持続が恐怖であり、警戒の解除が安心を生む。

笑いは、「持続しない・瞬間的な安心感」と言い換えることもできるだろう。

ということは、「安心感が持続しない状況とは、どういった状況なのか?」を調べれば/明らかにすれば、「笑い」の感情について明晰に語れるようになるだろう。       

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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