現代アートと伝統美術の相容れなさ

マオリ族の伝統的なタトゥー(トライバルタトゥー)及び、ヤクザのタトゥーは、”クリエイティブなタトゥー”と同じ土俵に立っていない。

伝統的なタトゥーに求められているのは、いかに伝統に則っているかだ。特にトライバルタトゥーは、ヤクザの刺青のようにアウトローを出自としておらず、部族戦士の生活に根ざしたものであるため、なおさらである。

模様一つに伝統的な意味があるため、トライバルタトゥーに創造性は要求されない。要求すべきは、正確さである。

(いかに伝統に則っているか。間違っていないか)

現代アートと伝統美術・伝統芸能

アートワールドなる概念がある。何がアートで、何がアートでないのか。バンクシーが絵画をシュレッダーにかければアートになるのに、オフィスのシュレッダーはなぜアート製造機にならないのか。

ある作品Aがアートとして認識される、認められるためには、アートワールドなる場・フィールドに認められなければならない。

以前に書いたが、アートワールドは単一ではない。ロック音楽を全面的に否定するクラシック愛好家はあるだろうし、その逆もあるように。

(現代アートの何でもありな現状を、快く思っていない芸術家も少なくない)

しかし、伝統美術・伝統芸能は、アートワールドに正式に属していない。属していることは属しているが、村上隆の作品の見られ方と、アイヌの民族衣装の見られ方は違う。

なぜ伝統美術は現代アートと相容れないか

現代アート・コンテンポラリーアート制作の難しさは、明確に制度化された評価基準が存在しないところにある。

また、もう一つ難しいのは、過去作品の模写を行なっても評価されない・カネを生まない点である

先祖から代々伝わるトライバルタトゥーを施した刺青師に、なぜ創造性を発揮しなかったのか、よく見る薩摩切子をなぜ作成したのかと問うてもナンセンスだ。

彼らの目的は、先代の遺産を守ることでたり、己の技術を披露することではない。

様式から外れて作品を作ることもあるだろう。その時始めて、それらの作品はアートワールドの圏域に参与する。

民族芸術・伝統工芸品を、つまらないものとして否定する態度はありうる。しかし、現代アートの作品のように、単一の作品を否定することはできない。

民族工芸品Aを否定するとき、そのとき否定されるのは民族工芸品A群である。あるいは、その民族A全体。

スコットランドのキルトなど、バカにされがちな民族の伝統はあるが、一個のアーティストとして評価を得たいのなら、伝統に従ってはいけない。

伝統様式を守ることに終始していると見なされたとき、そこに発生するのは評価ではなく規格になる。

それは、芸術と工業品の二項対立において、工業品に属するものである。

先達の作品と似ていることが褒められる世界と、先行作品と似ていることが侮蔑される世界は、どう考えたって別競技だ。

(見せかけの)新しさの創造

たとえポーズに過ぎないにしても、現代アーティストは新たな様式を創造しなければならない。

毎度毎度あらたなコンセプトで作品を発表する必要はないが、現代アートのコンセプトは、緩やかな意味で一代断絶である。

あなたは、モンドリアンのコンポジションのような作品を作っても良いが、過度に似ていてはならない。

なぜなら現代アートの圏域は、たとえ本当にはそうでなかったとしても、目新しさが最大の評価ポイントになるからだ。

目新しさの次に評価されるのは、鑑賞者にどれほどのショックを与えたかだ。このショックというのは恐怖や危機感を含み、感動や怒りも含む。

(失望だけはさせてはならない)

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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