保守と改革、そして非民主的政治の可能性について

保守と自認している人、自称している人間も、伝統及び法律などを全て保守したいわけではない。いるとすれば本当の保守だろうが、なかなかに少数派だろう。

フェミニストは一般的に左翼および進歩主義者と見なされるが、宗教右派と結託してポルノ規制に参加したりする。「極右フェミ」あるいは「宗教保守フェミ」と彼らを述べてもおかしいとは思わないが、彼らはあくまでも「旧弊からの脱却」「人類意識の変革」のために改革を進めているのであって、「キリスト教的価値観の復活」を目指しているわけではない。

ワッハーブ派はイスラムにおける改革運動だが、「コーランに還る」ことを目的としており、復古主義的である。

改革=左翼・進歩主義・プログレッシブの図式・恒等式は実社会に合わない。その考え方も無駄ではないが、彼らの自認、世間の他認とはズレている。

原始共産制

インドのオンゲ族やアンダマン人などの人たちには、所有という感覚がない。モノは分かち合うモノであり、なおかつ溜め込むものではない。

そもそも、所有および貯蓄という概念は、アグリカルチャー(農業)と不可分である。

ポルポトのスローガンは「原始社会に還れ」だったそうだが、ポルポトは大量虐殺を行えど、電気やガスなどのインフラまでは破壊しなかった。

保守あるいは保守回帰を唱える人で、人身御供を復活させようとしている人は(今のところ)見たことがない。

保守・コンサバティブが見上げているのは、多くの場合二十世紀あるいは十九世紀である。ワッハーブ派はその限りではないが……。

保守/改革あるいは保守/リベラルという図式よりは、復古/保守/進歩の3つの図式を、イデオロギーの上で区別すべきだろう。たまたま、キリスト教右派とラディカルフェミニストの主張が重なったからと言って、ラディカルフェミニストは極右思想と判断すべきではない。

放任と管理

例えば、スーパーサイヤ人くらい強い個人が現れれば、国家・組織は彼を縛れない。つまり、”力”さえあれば法律など無視できるのである。

その意味において、ジェフリー・エプスタイン はサイヤ人に近い。島を個人所有し、外部に情報が漏れないようにして、その島に未成年の女性含む奴隷を所有していた。財力がなければなせぬ悪行である。

だが、独裁者でもない限りは法律はいかに金持ちであろうと適応される。飯塚幸三も例外ではない。

極右/極左、あるいは右翼/左翼、保守/革新の区別の妥当性は私にはよくわからないが、現代社会がより規制・管理に向かっているのは確かだろう。

民主主義及び民意が、偽の情報と約束に基づいているものとしたら? フェイクニュースは報道の自由の範囲なのか?

ファクトチェックとはいうが、ファクトチェック機関のファクトチェックは誰がやるべきなのか。最も信頼できるデータはどこにあるのか。

あからさまな虚偽報道でなくとも、編集や切り取り方で人物の印象はいくらでも改変できる。民意がそれらに基づいていたとしたら?

親から強制されて始めたヴァイオリンが、いつのまにか子どもたちの「ヴァイオリニストになりたい」なる夢に変わっていることがある。

どのみち、国民すべての願いを叶えることは不可能なのだから、非民主的官僚組織により統治も、それほど悪いものだとは思えない。ただし、独裁/非民主統治は圧政や人権の無視につながりやすい。

だが、ハンガリーなどが民主主義から非民主政治に体制が移行したとしても、それほど人権弾圧の心配はしない。周辺諸国が加入するだろうからだ。国民も国外脱出するだろう。もちろん、犠牲者は少なからぬ規模で発生する。

変なことをいえば、非民主国家も民主国家と隣接しており、地形的に隔絶(山脈などにより)されていない限り、比較的深刻な事態には至りにくいと予想できる。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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