デフォルトのアイデンティティとその危機

中国の90パーセント以上は漢族を自認しているらしいが、彼らの祖先に非漢族…あるいは中国語を喋らない異民族は最低一人はいる。しかも、それは2000年前に一人とかではなく、もっと認識できる範囲で。

漢族というのは、中国人のデフォルトであり、”ホワイトアメリカン”なるコンセプトと対置できるだろう。

アメリカ建国以前に既に人種概念はあっただろうが、現代の日本人の大体数を見れば分かるが、アメリカの白人の祖先は、人種について思いを巡らさなかっただろう。なぜならデフォルトだからである。

初期のヨーロッパ人がアメリカに到着したとき、各々が民族の習慣と民族意識を持っていたのだろうが、世代を重ねるにつれ、民族同士が統合し、ホワイトアメリカンなる新しいコンセプトが生まれる。

それは限りなく人種意識に近いが、肌が黒めのイタリア人だとかは差別されたらしいから、古典的な、日本人が想定する”人種”意識ではなく、もっと限定された意味で”白人”なる概念が往々にして用いられる。

コーカソイドだからホワイトではない。アメリカ人の大多数は、中東人をホワイトと見做さない。

書類に人種を記載しなくてはいけないシチュエーションに遭遇したケースで、アメリカの人種カテゴリーでミドルイースタン=中東人がない場合、中東人はしぶしぶホワイトを選ぶ…。

オバマは黒人か

オバマのことを「初の黒人大統領」として報道することに対して違和感を覚えた人は、日本でも多いだろう。

まず、オバマの母親は白人である。つまり、半分白人半分黒人になる。

もちろんアメリカでもオバマを「黒人」と呼ぶことに抵抗を覚える人はいる。モーガン・フリーマンはその代表

オバマが黒人に分類されるのは、かつて法的規定として運用されていた「ワンドロップルール」の影響だと言う人もいるが、半分は正しいだろう。アメリカでは、黒人に白人の血流れていても、そのまま「黒人」として扱う歴史があった。

南アフリカのように、混血を混血として扱っていれば、アメリカにそのような歴史があれば(注:あったほうがよかったと言いたいのではない)、オバマは「”カラード”として初の大統領」とメディアから呼ばれていただろう。

また、仮に半分白人の人物が、オバマの父親の祖国であるケニアで大統領になったとき、アメリカのメディアはどう報道するのか気になる。

西洋覇権主義の徴候を見取るだろうか?

…厄介なのは、アメリカの”黒人”と呼ばれる人たちがすでに、平均して20%ほど白人の血が流れていることである。もしかすると、オバマは日本人の感覚・印象以上に、「黒人らしい」のかも知れない。

アフリカ系アメリカ人の民族意識とオバマ

オバマの父親は黒人だが、ケニア人である。

アフリカ系アメリカ人の民族創世記「強制連行され奴隷化された者らの子孫」という歴史を、無批判にオバマが受容することが難しい。

しかし、前述したように、オバマはメディアから黒人として扱われるし、例外はあれど白人からも黒人からも”黒人”として見なされるし、本人も黒人意識はあるだろうし、黒人として生きてきただろう。黒人として扱われてきただろう。

奴隷の子孫ではなく、アフリカからの移民・移民の子孫は、黒人奴隷の半生を描いたドラマ「ルーツ」を、どう見るのだろうか?

私は、アメリカで”アジア人”にカテゴライズされるだろうが、欧米で奴隷同然に働かせられたアジア人の炭鉱労働者の歴史を、「わたしの話」として、おそらく感じてはいない。

だが、私が仮にアメリカで生まれ育ったとして、日本語ができず、英語だけができ、中国人の血は入っていないが、雑多な「アジア人」の血筋で祖先が構成されている場合は、どうなるだろうか?

アイデンティティのややこしさ

アイデンティティとは何か?という問いは発したくない。私とは何者なのか、私らしさとは何なのか、なりたい自分はどこにいるのか…ect、厳密に考えたいという欲望が私にはない。

だが、何も「思うところ」がないわけではない。

人が何かアクションを起こすとき、そこには必ず「逆算=未来予測」がある。「ジュースを買う」という目的のために、アクションを逆算し、人は歩いて財布を取り出してお金を出してお金を渡す。

いわゆる「アイデンティティの危機」とは、未来予測から逆算した行動を起こしたのに、未来が予測と違っていた(違うと感じた)事態と重なる景色がある。

アイデンティティの危機とは、「何かが違う」という自我意識のネガティブな表現だが、そもそも「違う」ものがなければアイデンティティは概念として成立しない。

黒人やら白人やら黄色人種やらがいなければ、人種概念は成立しないし、黒人意識も白人意識も発生しない。

「自分のことを誰よりも足が速いと思っていたのに、いざオリンピックに出てみたら8位だった」

そして「足が速い」者がいる限り、必ず「足が遅い」人がいる。いるというか、対概念でしか成立しない概念がある。

…海外に出て、初めて自分のことを「日本人だと感じた」・「アジア人だと感じた」と語る人たちは無数にいる。彼らは別に、自分のことを白人だと思っていたわけでもないし、セネガル人だと思っていたわけでもない。

この「人種・民族意識に海外渡航後はじめて直面する」人たちは、それまで彼らがデフォルト=標準規格であることに思いを巡らしたことすらなかった人たちである。

非難はしない。テレビコマーシャルは宇宙人ではなく地球人向けに作られているが、誰もそれを指摘しない。

(これがあまり良くない例なのは認める)

コンテンツ=言説のメッセージの宛先「この言葉を誰に届けようとしているのか?」という疑問は、”単一民族”国家では気づきにくいのだ。これがゲイだとか聾唖者だとかのマイノリティになると、事情は変わってくる。

日本で生産されるコンテンツは、99%が「日本人向け」に作られている。それはビジネス的には正しい。なぜなら、日本に住む人の99%は日本人だからだ。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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