認知症患者の体験談はノンフィクションなのか

認知症患者の語る体験談は、フィクションなのかノンフィクションなのか、それが問題である。

真理の対応説なるものがある。真理の対応説者にとって、命題の真偽は実在するものと対応しているか否かで、TrueなのかFalseなのな決まる。

この立場からすれば、電話帳の電話番号が、実際にその電話帳の住所の人物にかかった場合、それは真とみなされる。間違っていれば偽Falseだ。

認知症という情報

レトリカルな誤謬というか、気をつけなければいけない点だが、「認知症患者が語る体験談は、信用できるか」という問いは、”認知症”という病気自体に「言動が耄碌する」という意味合いが込められているため、「言動が耄碌している人間の体験談は、信用できるか?」という、同語反復めいたものになる。

認知症という情報は、メタ情報である。同じ”話”でも、普段から嘘ばかりする男の話と、そうでないと男の話は信憑性が違う。

認知症であるかどうかは、話の内容から推測はできる。しかし、認知症の人間にしか出来ない話法なるものが存在しない以上、認知症であるかどうかは、情報の権威の次元に関わる要素である。

認知症の老人が失っているのは、語りのノンフィクション性の権威であり、認知症は国家が定めた医療機関によって認定される。権威あるいは信用が違う。

信頼できない語り手

文学理論に、信頼できない語り手という概念がある。読者をミスリードさせたり、虚構内の”真実”をくらますような語り手を指している。

語り手が信頼できる語り手かどうかは、メタ情報=小説のテクスト外にはない。あるとすれば、例えば小説のタイトルが「精神錯乱者の目撃」だったり、あるいは作者が叙述トリックを多用する場合などに当てはまるだろう。なにをもっテクストの「内/外」を分けるのかは難しいが、「同一作者が書いた、他の作品」などは、明らかにテクスト外の情報だ。

ここで難点が生じるのだが、例えば作者が認知症患者であったり、小さな子どもの場合であっても、彼らがフィクションとして書いたであろうと想定できるテクストは、叙述トリックと見なされうるのかどうかである。

我々は、わかりやすい”信頼できない語り手”であることを示唆する描写が文章中になくとも、認知症患者の書いた小説を、いわゆる健常者が書いた小説のように読むだろうか?

論点がズレてしまったが、私が考えているのは

「認知症患者のフィクションを、我々はどう読むのだろうか?」だ。

これはフィクションとして描かれているが、ほんとうはかつてあったことに違いないだとか、穿った見方をするだろうか?

認知症患者(というラベル)が奪うのは、発話行為者の権威性である。常に酔っ払っているタクシーの運転手の車に、誰が乗りたいの思うのか。

認知症患者は認知症を語れるか

「外国にも行ったことない奴が、海外生活を語るな」だとか「戦争に行ってもないのに、戦争の悲惨さを語るな」。これらの主張にはポイントがあり、妥当性が見受けられる。

しかし、認知症患者が語る認知症の症状に、どれくらいの信頼を我々は置くだろうか?

ここで大事なのは、認知症患者であっても、語られるエピソードは「全てが嘘ではない」と想定できることだ。前後関係であったり、因果関係も、全て実世界と対応していないわけではないと想定できる。

また認知症患者の発表した学術論文・あるいは地域の地図が、「正しい」と事後に確認される事態も想定できる。

脳に著しい変化があったとしても、「健常者」と同じように振る舞える方は存在するという調査結果がある。

認知症の”程度”が問題になるのは、例え認知症と診断された、あるいは認知症の症状を著しく外に表している人であっても、施設や介護に頼らない生活を送りたい人がいるからだ。

日常生活自立度とは、認知症の「重さ」を測る基準として、政府によって作られた指標である。物忘れは、認知症の特有症状ではない。どんな知的権威であっても、物忘れはする。

…認知症患者の話は、フィクション/ノンフィクションを語る意志の有無以前に、曖昧さに属すると考えた方がスッキリする。ほんとうなのか嘘なのかどうかではなく、例え認知症患者が世界に対応する事物のある真理に到達したとしても、想定されるプロセスにおいて、真正さを喪失している。

「この教室に、何人の人がいるか数えなさい」と指示があったとき、目視せずサイコロを投げて答えたとしよう。その場合、人数がいくらただしくとも、正しい推論をしたとは見なされないだろう。

“認知症”のラベル=レッテルとは、正しい推論能力があると見なされないことと、ほぼ同義である。よって、認知症患者は認知症を語れない。”語る資格”のようなもの、原告たりうる責任能力を彼らは喪失している。我々のゲームに、彼らは参加できない。認知症患者の意見は、どこまでも「参考意見」である。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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