音楽と異化作用【第四回】

ポップス・クラシック問わず、音楽作品には繰り返しが多い。繰り返しといっても、ボレロのようにリズムを繰り返すもの、メロディを繰り返すものを同じようには語れないが。

音楽作品は、もしかすると物語のアナロジーで語れるのではないかというアイデアが湧いた。

音楽と繰り返しの力

音楽作品において、フレーズはなぜ繰り返されるのか。こちらのアーティクルによると、「同じ繰り返しであっても、一度目と二度目とでは、我々の順応方法(orient to)が違う」らしい。

繰り返しと言っても、メロディが半音高かったり、メロディの最後が少し変わってたりするが、あれは予想をズラす・外す効果があると言える。

ポップスを聴こうがクラシック音楽を聴こうが、聴くのは人間である。ベートーヴェンやボレロ、展覧会の絵の繰り返しと、ポップスにおける繰り返しは、同じ心理的効果があると考えられる。

繰り返しというのは、人間にとって安心を象徴する現象である。虎舞竜のあの歌を例に引くまでもなく。

帰った時に同じ家がある。環境がある。家族がいる。

予想できない出来事=ストレスで、予想できることは安心につながる。

だが、安心というのは退屈と表裏一体で、人間にはわざわざ見知らぬものを見てみたいという欲求がある。

ヒンデミットのような繰り返しの少ない作曲家、あるいは次の音の予想すらできないようなラプソディックな作品も鑑賞されるのは、人類には知らぬことへの興味があるからだ。

(それに、ヒンデミットは繰り返しは少ないだけで、ゼロではない。チャイコフスキーやドヴォルザーク のような甘い旋律をたっぷり繰り返すのではなく、甘さ控えめで作品を仕上げている)

上で引用したアーティクルでは、クラシック音楽における繰り返しの例としてラヴェルのボレロが挙げられていた。

だか、ボレロはリズムは反復しても、メロディや楽器(楽器には各々のトーンがある)は反復しない。

展覧会の絵に関しては正しい。あれは繰り返しが多い。だが、管弦楽版にしろピアノ版にしろ、繰り返し(プロムナード)は、繰り返しでない部分に挟まれて演じられる。

アナロジカルな説明で申し訳ないが、狩りに行って帰って来て平穏無事な村を見るのと、旅行に行ってから見る村の印象はきっと違う。

繰り返しの限度

同じ繰り返しでも、一度目と二度目とでは人の受け取り方が違うとは言っても、人が楽しめる繰り返しの回数には限度がある。

個人的には、大事manブラザーズの”それが大事”の繰り返しは、楽しめる限度を完全に超えている。円広志の夢想花もちょっと超えている。

穏やかな日常も、ずっと続けば退屈に通ずる。旋律にも依るのは間違い無いが、繰り返しにも限度がある。

ちなみに、メロディ・旋律と言っても、どこで区切るかは主観的である。「一度流れが途切れれば、そこがメロディの終わり」という認識は、慣習的で主観的。

毎日相田みつを記念館に通う人間がいるらしいが、毎日同じ曲を聴いて新たな発見がある状況があるだろうか?

三時間の曲ならあるかも知れない。それでも、毎日は聞いていられないだろう。

音楽と異化

現代アートの作品にたまにあるのが、日用品をステージに作品として飾るタイプの展示。

普段見慣れているはずのものなのに、普段なら気に留めないようなオブジェクトが、まるで異なるオブジェクトのように見えてくる。

ジョン・ケージが4:33でやったのはそういうことである。

音楽というのは特殊で、楽音(作品・アート・音楽)として提出される限り、音に異化は起こらない。生活音をステージで鳴らせば別だが。

異化のターム・概念から音楽は語れないが、語れないことが分かっただけでも前進だと信じたい。

あるいは、逆方向の異化を想定できるかも知れない。非日常的なものを、日常的なものに見せる。

無言歌なるジャンルがあるが、これは曲の形式に関するものではなく、理念的なものである。

「この曲には歌詞は無いが、”歌”である」

音楽という非意味的・非記号芸術を、意味・記号のあるものとして提出する。純音楽の追求からは後退しているが、標題音楽の標題など無視してやれば良いのである。

思うに、音楽には人間の原始的な認知パターンを利用した快楽刺激装置との面、意味以前の物語、そして意味に到達しようとするが決して到達できない・到達してしまっては(モールス信号のように、記号化してしまっては)楽しみが失われるものだと思っている。

ヴァイオリンに比べ、ヴィオラはやたらとエレジーのために書かれた作品が多い。低い音と高い音では、性格が違うのである。

チェロもそうだが、ヴァイオリンとは違うくぐもったトーンは、”憂い”に合う。低い音というのは知覚の面からは刺激の少ない音程だが、憂いはチカチカしてなならないのである。

是非フォローしてください

最新の情報をお伝えします

桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です