ダブスタの問題点/ソウルメイトは存在する

「人の命は大切だ」と、普段から喧伝している人間が、民族浄化に加担し始めても、そいつは急に爆発したりしない。

矛盾した態度を取ろうと、ポリシー・プリンシプルの発信者がそれに反する行為にコミットしても、空から雷が直ちに降ってくるわけでもない。

自然科学であれば、仮説に従い実験をしたとき、仮説に基づく推論に従う研究結果が出たか出なかったで、命題の真偽を確かめられる。そしてもちろん、反証も仮説である。反証可能性が現代科学の定義であるとはよく知られている。

矛盾した態度とダブルスタンダード

ダブルスタンダードという言葉は一般化している。日本語だと二重規範というらしいが、ほぼ使われていないだろう。

例えば、子どもへの体罰を辞めようと呼びかけている人が、自分の子供に対して体罰を実施していることが知られたら、その人物は批判されるだろう。特定人種への差別に反対している人が、自分の人種に有利なシステムを作ろうとしていたら、その人もダブルスタンダードを指摘される。

通常の人間は矛盾した態度をいくつも抱えている。ダイエットをしなければと思っていても、暴飲暴食に走りうる。

話は変わるが、「石原慎太郎を読んでみた」という、石原慎太郎の作品と発言を批評した本がある。その中で「石原慎太郎は、若い頃は中高年を否定するような言説を繰り返していたのに、いざ彼が中高年になったら、若者を批判するようになった」という一節があった。しかし、その後に「”自分以外を否定する”という点では、彼はずっと一貫している」と続いて述べられていたことを覚えている。

この本の著者である豊崎由美氏と栗原裕一郎氏が偉大なのは「作者と作品は違う」と、テクストと作者の振る舞いへの好悪を分けて考えようと努めていることだ。もちろん、人間だから完全には分けられないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のが、普通の人間である。白人至上主義者はいかにラップ・ヒップホップがくだらないか語るが、「ヒップホップは好きだけど、黒人は嫌いだ」という状態を維持し続けられる力を備えている人間は少ない。これらは認知的不協和理論だとか、バランス理論で述べられていることである。

しかし、認知的不協和はなにも完全にネガティブなものではない。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、ソウルメイトは世界一素敵な人間

英語圏だと(少なくともアメリカでは)、ソウルメイトという概念が巷間に浸透している。日本では馴染みのない言葉でも、「運命の人」という言葉は頻繁に聞くだろう。

ソウルメイトだとか「運命の人」というワードを耳にするたび思うのが「あなたの運命の人が、クソほど性格悪い可能性は考えないのか?」ということである。

「世界には何十億人という人間が住んでいるが、その中に一人あなたの運命の人がいる」これを個人的に「ソウルメイト仮説」と呼んでいる。

「あばたもえくぼ」ということわざがあるが、好きな人なら「欠点」ですら長所・あるいはチャームポイントに転じる。これはネガティブなことではない。妻・夫をずっと他人と比較し続ける人生はおすすめできない。

アメリカの人口のうち、およそ6割の人間は「ソウルメイト」の存在を信じているらしい。科学的には無茶苦茶だとしても、アメリカのおよそ半数の人間が離婚を経験するにしても、その人が運命の人である可能性はゼロではない。

孤立した狭い島に二人しかいない世界

たまに実験として「孤立した狭い島に二人しかいない世界」と、シチュエーションを想像している。色々パターンを変えて。

たとえば、その2人が不老不死だったとする。この二人は法律を作るだろうか?おそらく成文として作るだろう。破った場合は、ペナルティーをしぶしぶ受け入れるだろうが、最終的に決裂して、その決裂の瞬間を”忘れる”まで相互不可侵の関係をキープし続けているだろうか。

ダブルスタンダードが”問題視””あるいは不服を申し立てられるのは、それを不満に思っているものがいるからである(ものすごく当たり前のことですが)。

組織・集団における二重規範への肯定的態度は、権威第一主義的態度と言えるだろう。そんなものが「正義」であってはならない。その態度を良しとするなら、僕はあなたを「愚民」と呼ぶ。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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