感受性が強いというのは損だが、その損を愛してはいる
2019年3月17日
2019年3月26日

「バカ」というのがいる。善も悪もない、モラルとも向き合わない。向き合えない「バカ」。
バカは、ポリシーが理解できない。この世の全てを、自分を攻撃する人か否かでしか判断できない。噂話に花を開かせる井戸端会議の宇宙に生きている。
バカは、行動力が高いことが多い。大抵は失敗するが、たまに成功する。そして、自分がなぜ成功したのかわかっていない。
バカには、良心の呵責がない。過去の自分に悩まない。あのときああすればよかったと悩まず、まあいいやとなる。
バカとカルト宗教は無縁である。素朴な愛を説く宗派なら親和性が高いかも知れないが、自らの人生を全て投げ出すことを要求する新興宗教などには、ハマらない。途中で嫌になってやめる。
バカは、友情に厚いし、同時によく裏切る。裏切ったことも、恩義を感じている自分がわからない。メタ認知ができないバカは、省察ができない。「なぜ自分はそう考えたのか?」と、思考の枠組みの外から考えられない。
バカにわかるのは、恩義と、礼儀礼節、マナー、処世術だけだ。喧嘩になれば、相手を立場で黙らせて、論争に勝った気になる。
バカは、凡庸な発想であっても、それが凡庸であるかどうかメタ的に認知できない。
軽々とポリシーを風見鶏のごとく右往左往させ、都合のいいポジションをとれる人、それでいて矛盾に苛まれずに済む人がいる。
平気で友情につけ込み、良心の呵責を感じず、行動できる人がいる。
自分は間違ったことをしたかも知れないと、反省せずとも生きていける奴がいる。
平気で子供に怒鳴り散らせる奴がいる。
そういう人になりたくないが、たぶん俺は事実上はそういう人だ。

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