愚者的(として)消費と、賢者的(として)消費

ダイノジの大谷が、芸能界で「スター」になるのは、ツッコミではなく「ボケ」の性質をもった人間だとどこかで言っていた。

この文脈における「ボケ」というのは、ゴシップを量産する人物ではなく、なんとなくおっちょこちょいを連発する人、失敗を多くする人、変わり者といった意味である。

もちろん、「ボケ」でないとスターになれないわけではないが、「かわいげ」というのは、人気者によくある性質だ。「弱さ」と大きく重なる要素である。

物書きであるはぁちゅうの活動を追っている人は、少なくない割合で彼女のアンチだが、「ボケ」のスターというのは、そういうことだ。

愚者的消費

愚者的消費、あるいは「愚者として消費」という概念があると、メディアシーンがスッキリする。

田代まさし、清水健太郎、はぁちゅう、(かつての)キングコング西野、ホンマでっかの澤口先生、蛭子能収、カニエ・ウェスト。

みんな「ボケ」=「愚者」的な性質をもっている。もちろん、愚者であることは固定された状態ではなく、「賢者」として見なされることもある。(ここらへんは主観と客観などややこしいので、すっとばさせてください)。

仮に、人を「愚者」と「賢者」にわけたパターンにおいて

方法論的に、「人は『愚者』と『賢者』にわけられる」と、二項対立させてみる。もちろん、世の中の大半の人間は、中間である。

知名度があることはもちろん「賢者」の必要条件ではない。アホでも有名になれる。

(人はなぜ、ゴシップを楽しめるんだろう?)

自分から笑われに行ける人はすごい。賛同者が少しでもいればいいが、それが始まりの時点でいないと気力を削がれてしまう。僕にはできない。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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