中二病キャラと作者の中二病の否認

アニメ・漫画の分野において、中二病キャラなる雛形がある。シリアスな漫画においては飛影が元祖とされているようだが、それを言い出すとヨーロッパのゴシック小説なども中二病キャラの元祖としてカウントしなければならなくなる。

小鳥遊六花だとか、めぐみんだとか、インパルス板倉のコントキャラクター「ヨハン・リーベルト」だとか、中二病的なモチーフをコメディリリーフとして活用するケースを私は想定している。

言い換えれば、中二病を笑いものにするキャラについて考えている。

同性愛嫌悪と同性愛と中二病

同性愛に対して辛辣だったり、嫌悪感を抱く人は同性愛者である確率がより高いという調査結果がある。タイラー・ザ・クリエイターなんかはその筆頭。

あくまでも傾向だろうし、本当に確かめることはできないが、作中に中二病キャラを登場させる作者は、そうでない人に比べて中二病的な表現や様式に愛着だとか嗜好がより傾いているだろう。

ただし、中二病の恥ずかしさとは中二病であることに無自覚なところより由来するから、コメディリリーフとして抜き出すときその恥ずかしさは消失する。

だだ往々にしてあるのが、「昔は中二病だった」(”昔は馬鹿だった”も同じ)と語る人間が、現在進行系で中二病であること。

ブルゾン ちえみなんかも、自ら海外かぶれの人をコメディリリーフとして活用していながら、本人は海外のトレンドなどを積極的に取り入れる海外かぶれの人間である。

“中二病”の定義をズラして考えてほしいのだが、中二病にかかっていることは現在進行系では本人にわからない。”恋に落ちる”のと同じである。

「自意識の把握と制御ができていなかった」と、後々振り返って感想を抱くとき、中二病だったと自己定義される。

中二病への過剰反発・過剰嫌悪

自意識からはどうせ逃れられないのだから、中二病と見做されようがそうでなかろうが本質的な差異はない。

中二病であること・見做されることから逃れようとする意識は、自意識の制御ではあるが、そこには他人を喜ばせようとする精神・奉仕精神などが欠けている。

徹頭徹尾、自分の見られ方への懸念である。

九鬼周造によれば、恥という感情は悲しみが内部にあり、なおかつコントロール可能なときに発生する。

だから、中二病的なものを過剰に忌避する態度は、内部に共感するものがある。あるいは自覚・懸念のある人間の対応だと見なせる。

あるいは、自意識なるものを不可避のものと捉えておらず、「見せる/隠す」の二項対立で理解している人間が、中二病的なものに恥を感じる。忌避する。

ゴッドタン とお笑い芸人の否認

話は変わる。申し訳ない。

ゴッドタンで、CreepyNuts(ラッパーとDJのデュオ)の一人が、アルコアンドピースの酒井に対し

「ヒエヒエーだとか、一般的なラッパーのイメージを利用してラッパー・ヒップホップを笑いものにした」とクレームを入れる場面があった。

興味深かったのは、ハライチの岩井が「俳優だとかが芸人のフレーズを真似するようなもん」と的の外れた類似例を出したこと。

正確な類似例を出すならば、お笑い芸人が「いかにも演技しているような演技」、前述したヨハンリーベルトのような演技を茶化す場面が適当なはずだが、意識的になのか無意識的になのか、岩井はそれに言及しなかった。

芸人はさんざん俳優だとかミュージシャンを茶化すのに、自分たちが馬鹿にされると怒る奇妙な人たちである。

ロバート秋山のクリエイターズファイルだって、お笑い芸人は一人もネタにされない。一番作りやすいはずなのに。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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