己の黒歴史を擁護せよ

「考えるな、感じろ」と、言われても「感じろってなんだ?」と、自分は考え始めるだろう。だから、考えます。

高級時計をつけて自分の富と成功を誇示するのと、子どもが小競り合いから本格的な殴り合いに発展すること、芸術家などが名声を求めること、何も変わらないからだ。

それに、服装の「カッコつけ」にしたって、我々はどのみち自意識から逃げられないのだから、普通の服を着る人も、「普通の人に思われたい」と思ってきている。「普通の人に思われたくない」と、奇抜な格好をする人を、そんなに非難することもないだろう。

子どもと大人の欲望の違いは、あるいは単に”違いは”と言ってもいいが、大人は色々と飽きていることだろう。なにかを経験する前に、大人は予測が出来てしまう。レジャーにしろ、料理にしろ、さまざまな類の出会いにしろ。

黒歴史は存在しない

「キミを見ていると、昔の自分を思い出すよ」と言うおっさんが例外なく嫌いだ。「自分はかつて未熟だった」と言いたいのだろうが、お前は現在進行系で未熟である。

「昔は色んなバカなことをしたよ」と言うが、お前はそのバカのまま変わっていない。自覚しろ。

しかし、いわゆる「未熟さ」からくる過去の失態を「黒歴史」として意識の底に押し込めることに、私は反対する。私は黒歴史を一般的には擁護する。

逆に、黒歴史を見つめるべきである。そして「そのときの自分は、なぜそんなことをしたのか?」と考えるべきだ。そうしていくと、そのうち恥ずかしさはなくなり、むしろ懐かしさに変わる。

それに、「志の高かったころの自分」「目標を高く持っていたころの自分」を思い出すと、逆に「今の自分」が恥ずかしくなるだろう。たまに「過去の自分の反省」「昔の自分はバカだった」スタイルで”反省”をする人がいるが、過去はもう過ぎ去ったのだから、真に反省すべきなのは「現在の自分」だろう。表面上は反省でも、実質的には「懐旧」だ。

内田樹が、自身のブログに置いて「飽きる能力」を評価していた。飽きずに延々と「世論」を代弁したかのようなコラムを書けるのは、システムとして死んでいるとも書いている。

黒歴史を擁護すると同時に、我々は「その頃の自分」の志と呼応しなければならない。でなければ、典型的な”老人の懐古”になる。

お手本として、現在の自分を反省する

「黒歴史は存在しない」と私は言ったが、これは自分の黒歴史を直視・受け止めることができないために生み出された、防衛機制なのではないか?元々、照れ屋でシャイな性格だった自分が、これほどまでに劇的な変化を遂げているのは、耐えきれないショックがあったからではないかと推測しても、不自然ではないだろう。

陰険なビューポイントだが、人が何かを褒めるとき、ほんとうに褒めてほしいのは「それを褒めている自分」なのではないか?内面や動機を突き詰めても、物的証拠は出てこないのは大前提だが、さもありなんである。

衒学者を擁護する

さすがに実用書の文章が、やたらと美文調だったり、本題に入るまで延々と知識のひけらかしがあったりするのを称揚しないが、小説やエッセイにおいて、衒学的であることは、むしろ好ましいものだと思っている。

(武者小路実篤の開き直りが嫌いだ)

三島由紀夫だったり、トマス・ド・クインシーだったり、ああいう気取った人たちが好きだ。気障な人たちが好きである。そこに、恥ずかしさだとか、”黒歴史”を見出すよりは、快感と気持ちよさを見出す人生をおすすめする。

いわゆる”現代音楽”全盛期、不協和音全盛期、アンチ・メロディーの20世紀中盤から終わりにかけて、真っ向から反抗するように、吉松隆はメロディアスなクラシック音楽を書いた。

吉松隆の交響曲第5番を、「ハリウッドのサウンドトラックかよ」「今更なんでこんな大仰なんだ」「後退している」と言わず、そのむず痒さを含めて(『一ミリたりとも恥ずかしがるな』とは言わない)、擁護し、楽しんでいこうではないか。

断罪すべき「カッコつけ」と「黒歴史」があるとすれば

007シリーズの主人公「ジェームズ・ボンド」を、黒人女性が演じるらしい。ただし、主人公格ではなく、「主人公の善人のジェームズ・ボンド」という立ち位置らしいが……。

ジェームズ・ボンドは嫌いではないが、基本的にこのキャラクターは「男の妄想」と一蹴できる。なろう小説とアーキタイプは変わらない。いくばくか洗練されているだけで。

差別的かもしれないが、こういう「オッサンの妄想」はおぞましさを感じる。カッコつけ云々以前に、そもそもの向上心がない・人からよく見られたいという欲望を出さずに、第三者がそれ(=隠されていた卓越性)を見つけるという展開には、救いがたいナルシズムを感じる。……

さすがに、この手の黒歴史=美意識=カッコつけは擁護できない。

理由は判然としないが、おそらくは「中年以上の人間は、変われない」と、自分が信じているからだろう。どれだけ反省しようと、擁護しようと、努力しようと、形状記憶で同じ「オッサンの妄想」が変奏されるのだろうなと思ってしまう。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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