世界で一番すばらしい映画「ムーラン」について

※「ムーラン(1998年版アニメ)」のネタバレが多いので、知りたくない方は見ないでね。
1998年ディズニー製作の映画「ムーラン」で、ムーランが中国皇帝に抱きつくシーンがある。子どものときは何も思わなかったが、おとなになってこのシーンを見返すと「平民が中国の皇帝にいきなり抱きついとる!おい!」と叫びそうになる。
ただ、”お転婆”ムーランらしい行動でもあり、アメリカのフリーダムを感じられる(?)シーンでもあり、私のお気に入りだ。それに皇帝もそんなに嫌がっていない。ちょっと驚いてはいるが。
実写化で浮かび上がるジェノサイド
2020年に、ディズニーがムーランを実写化する。あまり期待はしていないが、見に行くと思う。この映画のファンだからだ。
それに、人々が実写化されたこの映画に、どう反応するか気になる。ツイッターでサーチして、意見を交わしたいと思っている。
私が一番気になっているのは、ムーランがコミットした「大量殺人」が、実写化でどう浮かび上がってくるかだ。もちろん、カットされる可能性もあるし、展開を変更される可能性もある。
ムーランは雪山の決戦で、フン族の部隊を彼女が花火ロケットで引き起こした雪雪崩により、大量に殺害している。この以前のシーンで、中国の農村が全て焼かれ、死体の描写はなかったにしろ、「ジェノサイド」があったことが示唆されている。ムーランが燃え盛る村のなかから拾い上げた「少女の人形」は、幼い子供も犠牲になったことの暗示だ……。
この「ジェノサイド」のシーンがなければ、ディズニーは主人公にあれほどの殺戮行為を実行させられなかったろう。殺人にコミットするディズニー映画主人公は、ムーランだけではないらしいが、それにしてもあのシーンは子供ながらに衝撃的だった。
言い訳(?)を付け加えるなら、ムーランはあくまでも雪雪崩により間接的に人を殺めたのであって、剣でクビをハネまくったわけではない(それだと旧日本軍になる)。ただし、仮にムーランが裁判にかけられた場合、「殺意」は否認できないだろう。…「正当防衛」で認められるにしろ。
漫画・アニメの暴力描写は、人の心にひびきにくい。バナナの皮で頭を打つことを至上の表現行為と思っている人物が、「浦安鉄筋家族」に登場するが、実写だと笑えない。心配が勝ってしまうからだ。
…ムーランという映画は、見ようによっては「極右」映画と言えよう。父の身代わりという名分ではあっても、祖国のために命をかけるし、祖国のために人を殺す。……
フェミニストの皆様もお気に入りの
映画「シュガー・ラッシュ オンライン」で、歴代ディズニーの”プリンセス”の控室に迷い込んだベネロペに対し、ラプンツェルが「(強い)男の人がいなければ、なにもできないって思われている?」と、尋ねるシーンがある。
ディズニーの”プリンセス”達の映画は――王族の血筋でなくとも、ディズニーの女性主人公はプリンセスと呼ばれてる。厳密な定義はなく、マーケティングとして用いられる用語と思っていい――、いわゆるフェミニストの方から非難を受けており
「古臭いジェンダー・ロールに捕らわれている」
「女性の自立心を阻害する」
「ディズニー制作陣は、女は男がいなければなにもできないと思っている」
うんぬん。
「プリンセス願望」というのはディズニーが存在する前からあり、それを父権制の洗脳、かつてあった(男)王権社会の影響と洗脳だと見なすことも可能だ。ただ、ディズニーも私企業である。興行成績を挙げるために、そういった「王女と王子」の原型を繰り返したと擁護できる。
フェミニストの方々がムーランを評価していることは、セーラームーンがフェミニストとLGBT運動家の方々から高評価を頂いているのと、似た理由だ。ムーランは、誰かが助けてくれるのを待たないし、軍隊という「超男社会」に、父親を守るため入隊するし、筋骨隆々の残虐な敵兵士にもビビらず、機転と知恵を活用し戦う。
…かつて、「ピンク」の色がフェミニストから否定的に捉えられていた時代があったそうだが、行き過ぎたと反省したのか、今では逆にフェミニズムを象徴する色となっている。
セーラームーンだって露出過多と言えば過多で、髪型はいかにも女の子らしいものとなっている。しかし、そこまで否定することはない。女の人が男社会を打倒するために、わざわざヒゲをはやして下世話な話を大声でしなくてもよい。
ムーランも言っていたが、「私が男のように見えるからと言って、男のように臭う必要はない」のだ。
大人になってわかるもの
アニメが始まるごとに、オープニングソングが流れる。そこで子どもたちはワクワクしたり、早く始まらないかなと待機する。
オープニングソングというのは、だんだん意識されなくなるが、「アンパンマンのマーチ」に関しては、その反対だった。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ
アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし
…ムーランが父親の代わりに入隊を決意するシーンは、親不孝者となってしまった私にとって、羨ましくあり、尊いと思う。私は一生涯をかけても、あのような気高い行為ができないと思う。
ムーラン挿入歌、「Reflection」の英語版の歌詞に
「わたしがほんとうに、わたしらしくあってしまったら、家族を悲しませてしまうだろう」
とある。この歌詞が微塵も刺さらない大人はいないだろう。

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