フェチ化=モノ化、非人格化

フェティシズムとは、対象をモノ化することであるとする。

対象は、体のパーツであったり、人種であったり、民族であったりする。

あるいは、職業であったり、曖昧な言葉だが、「属性」であったりする。身長もあてはまるだろう。

フェティシズムを完全に否定してしまうと、ロールプレイングを否定しなければいけなくなる。

ただ、ロールプレイングに関しては、属性ではないので、まだこれらの「プレイ」に対し、寛容なスタンスは保ちやすいだろう。

問題は、変えようがない属性に対するフェティッシュである。

身長、人種、民族、面立ち、肌の色。

これらは、変えようがない(肌の色は、なんとか変えられるよう近年なった)。変えようがないものに好悪あるいは良し悪しの判断を下してしまうことは、一般的に「差別」と言われる。ただ、ポジティブなものに関しては、問題視されにくい。

問題視されにくいが、特定の属性が好ましいとされたとき、それに当てはまらない属性は迫害される。

低身長の人は、男性ならば好ましい属性とはされにくい。一人で死ぬよりはマシと、低身長フェチの女性を受け入れる人を私は非難できない。

異性愛者しか愛せない同性愛者

異性愛者しか愛せない同性愛者なるものが存在するらしい。かなり悲劇的である。相手が自分に好意を向けた瞬間、その嗜好は破綻をきたすからだ。ただ、同性愛者とは、コンスタントに同性に対し恋慕の情を抱く個体を意味するらしいので、それを許容するのであれば、幾分かは(ほんとうに幾分かは)マシである。

もし自分が

もし自分が、パートナーからフェチの対象となったとき、それを非難するだろうか。嫌な気分になるだろうか。

恋愛レースは、博愛の産物ではないので、正直反発はしない気がする。

逆に、恋慕するパートナーのフェチの対象から外れたとしたら?嫌な気分になるだろう。変えようがないのだから。しかし、まだ諦めはつく。人格を否定されるよりはマシな気もする。

異性愛者と同性愛者、人間愛者

世の中の大半の人間は異性愛者で、たまに同性愛者がいて、まれに無性愛者だとか、その他色々いたりする。

世の中の大半がなぜ異性愛者なのか。わたしには、そういったプログラムが組まれてるとしか説明できないし、言語や思索のなかに答えを見出せない問題だと思う。

脳みそだけの存在がいるとして、我々はそれに恋できるだろうか? できそうな気もする。

車とまぐわう男のニュースを見たことがあるが、これは「人は人のみを恋愛と性愛の対象とする」命題の反証の一つだ。

(犬だって生殖の可能性のない相手にサカったりしてる。人と同じ水準で語れはしないが)

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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