完璧主義を貫けるか/寡作の作家への憧れ

ポール・デュカスは生涯で13曲くらいしか世に残さなかった。その13曲の中にも大学の試験のために作曲された作品が含まれており、非常に寡作な作家である。

「デュカスは45歳のときに発表した『ラ・ペリ』以降、大作を発表していない」

「デュカスは晩年、未発表作品を大量に破棄した」

かっこいい。

寡作の作家のいいところは、作品全部を鑑賞する時間が少なくすむことだ。好きな作家(アーティストとかクリエイターと言い換えてもいい)の作品は、できるなら全部読みたいのが私の性分だが、時間コスト少なくそれを叶えてくれる寡作の作家に感謝している。

(正確には、「ほんとに読もうと思ったら、全部を時間少なで読める」作家が好きだ)

(梶井基次郎にも感謝している)

完璧主義を貫けるか

ライアン・ヒガという古参のYouTuberがいるが、月々の再生回数は大したことがない。動画のクオリティは高いのだが、投稿頻度がおよそ2週間に一回ほどと低く、毎日それなりのクオリティで動画を出すクリエイターに、YouTube上のアドセンス収益額で勝てていない。

金儲けだけを考える、あるいは金儲けを主軸に活動するのなら、2週間に一度の投稿頻度は論外である。しかし、ライアンヒガはちゃんと食えているし、金にも対して興味はなさそうだ。本人が気にしていないのならそれでいい。

問題は、「食えていないクリエイター」だ。純文学の作家だとか、バンドマン、詩人、思想家、文芸批評家、ピアニスト、ets、クリエイター(アーティスト)の大半はぜんぜん食えていない。講師をしたり、アルバイトをしながら創作活動を続けている連中がとにかく多い。

「バイトは辛いが、自分の納得できない作品は出さない」道は悪ではないが、才能のあるクリエイターがもっと儲かる世界が来てほしい。切実に。

おもしろい作品がもっと世界にあふれればいいと思うからである。それに、本気で創作活動に取り組んでいる人が食えない社会は悲しい。

作品を書き飛ばすやつが嫌い

手を抜いて文章を書く作家だとか、エピソードを使い回す作家が嫌いだ。中島らもは反省しろ。

しかし、消耗戦であろうと毎日とにかくメッセージを放たなければ金持ちになれないのがインターネットに蝕まれた現代社会である。

「とりあえず行動しろ」

「毎日メッセージを発信しろ」

「いいから動け」

黙れよと思う。

しかし、マーケティングだとか収益の領域では上述のアドバイスは圧倒的に正しい。

大半の人間は作品の完成度や芸術的価値ではなく「どうすれば多くの人に見てもらえるか」「お金を稼げるか」に興味があるので、このアドバイスを実行すればとりあえず幸せになれる。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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