芸術の良し悪しを判断できる簡易指標の提唱

「良い芸術(作品)とは、鑑賞に値する芸術である」と、どこかで誰かが言っていた。「鑑賞に値する」という言説には、個人の視点を超えた神の視点が含まれている。

「この作品には価値がある/この作品は鑑賞に値する」と人が言うとき、「個人の感想」ではあり得ない。

そして、「作品の良し悪し」を「個人の好み」を超えて設定することは、難しい。

「あなたは、『これは素晴らしい作品である』と言いますが、それは貴方の好みなのではありませんか?」

こう問われたとき、できるだけ客観的な指標を反論に用いられば、不毛な議論をせずに済む気がする。

私は、身内・知り合いの作品の除き、作品の善し悪しは好みだろうと思っているが、そうではない基準はあっても良い。あるいは、「価値基準」は複数あったほうが楽しい。

お金/資本主義による判断

雑な切り口で申し訳ないが、「お金」「マーケット評価」で芸術作品を評価する指標も、アリだと思う。

まず、分かりやすい。趣味は悪いが、「この絵画一枚で、発展途上国の子どもたち〇〇人分にワクチンが打てるのか」と変換もできる。

「この絵画一枚は、5億円します」なるステートメントは分かりやすい。あるいは、「僕に自画像を依頼すると、だいたい10万円くらいかかります」

複製芸術と非複製芸術を一緒くたに語ってしまうが、アルバム・シングルのセールスだって、立派な指標である。

ただこの評価基準だと「売れていないが良い作品/作家」が存在しなくなる。

幻冬舎の社長の見城徹は、「どんないい作品であっても、まず売れないのはダメ」と言ったが、「資本主義に弾かれてしまう価値」を認めない人物がいるとすれば、見城が典型的な例だろう。

あるいは、映画のプロデューサーなんかも、この「売上至上主義」的な人物は多いかもしれない。映画監督で売上至上主義はなかなかないだろうが、スポンサーや予算からすれば、経済効果だけが欲しいのだ。

なお、現代アートの作品で制作費が何百万何千万何億とかかっているものがあるが、そういった場合は「付加価値」が判断基準になる。

ダイヤモンドが散りばめられたドクロのオブジェを作ったとして、制作費が3億円かかったのなら、最低でも3億以上でなければならない。

公共のオブジェで制作費が3000万かかったのなら、観光客がそのオブジェのある土地に落としたお金で判断する。

鑑賞時間による判断

音楽家/アーティストなら、あるいは画家であってもお笑い芸人であっても、同じジャンル内でなら、この「鑑賞時間」なる指標も、悪くない指標だろう。

日本で「音楽」が聞かれている総時間が仮に100時間だとして

ミスチル~30分

ジェニーハイ~10分

ベートーヴェン~5分

などと、割合の高さで勝ちを決定する。

もちろん、ゲスの極み乙女とジェニーハイの視聴時間は「川谷絵音」の視聴時間としても算出できるだろうし、ベートーヴェンだとかチャイコフスキーの音楽も「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の視聴時間としてカウントもできるだろう。

絵画だと算出が難しいが、様々な作品の美術展があったとして、「その作品の目の前で、お客さんが足を止めた総時間」なる簡易指標は無用ではない

マーケター的発想で申し訳ないが、時間/お金のような客観性のある指標は、他にななかなか替えが効かない。

空間による判断

これは、絵画などのオブジェ群でしか用いられないかもしれないが、「世界の総表面積」のうち、その作家の美術館はどれくらい広いかで判断するのも楽しいだろう。

大規模な作品を展開している作家が有利になるかも知れないが、指標とはそもそもそういうものである。

発想のもとは、野球におけるOPSと同じだ。

OPSだけだと、打者の走塁能力は測れないし、守備など考慮もされていない。しかし、「打者の、(強)打者としての価値」を測る際、これほど簡易で、なおかつ分かりやすい指標もない。

(見かけの)特異性による判断

ほんとうに新しい芸術はもうないだろうが、ここ10年間のヒットチャートなどから考えて、その曲がどれくらい新しいか・既存作品と似ていないかで判断する指標も導入できる。

絵画であれば、曲などと違い数百年単位で「新しさ」「独創性」を判断しなければならないだろうが、例えば200年前のフランスの超マイナーな画家と構図が似ていたって、むしろハクがつくと思う。

「2年前に、オークションで100億円で落札された作品」と似ていてはダメだが、同世代の無名な画家・彫刻家の作品と偶然似ていたって問題ではない。そういったことは多々ある。

少し話はズレるが、ユーミンは「5年後に世間の理解が追いつくのがポップス」と語ったらしい。

「大衆の趣味」というのは保守的であり、「新しいもの」「新しい形式・様式」のものは受け入れられないし、下手すれば批判される。

出したときにすぐヒット曲は、必ずその曲と似たフォーマットで沢山の先人が作品を書いてきたからである。…ほんとうかどうかはともかく、面白いテーゼである。

思うに、どんな作品でも「少し新しい」「少し変」でないと、「芸術的価値」は発生しないのだろうと思う。

より言葉を尽くせば、既存のフォーマットで作品を作っても、作者に芸術家としての名誉を与えるべきではない。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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