フジコ・ヘミングと反するクラシック音楽のイデオロギー

フジコ・ヘミングアンチの偏執ぶりには、眼を見張るものがある。いかに彼女が下手か、いかにフジコは楽曲を弾けていないのか、彼女を評価してしまっては、練習を頑張っている音大性・ピアニストの卵がかわいそうだとか、とうとうと悪口が止まらない。

嫌なら聞かなければ良いと一蹴すれば良さそうなものを、ブログや紙媒体でつらつらと酷評をする。

彼らの気持ちは分かる。

例えるなら、ビートたけしが最高の歌手だと言われて、玉置浩二が「声量があって、音程を外さないだけの歌手」と貶められている状況である。日本のピアニスト界は。

フジコ・ヘミングのCDはよく売れる。フルオーケストラ含め、一番「売れる」コンテンツではないだろうか?

誰も美空ひばりを、「音程を外さない機械的歌手」という人はいないのに、ピアニスト界だとそうなってしまうのか。

不思議である。

クラシック音楽のイデオロギーとメタル

ロック・ミュージックにおける「メタル」のイデオロギーは、クラシックに近い。どちらも速いパッセージや、メロディを重視する。ドラムもタイトにガンガン鳴らす。

仮に、リズムもガタガタで、メロディの起伏もほとんどない平板な曲をやるバンドがいたとして、己等を「メタル」「メタルバンド」だと名乗っていれば「どこがメタルなんだ」とバッシングされるだろうが、「パンクバンドです」と名乗っていれば、誰も叩かない。

これは、ジャンル・タグにはそれぞれ特徴以上のイデオロジカルな面があるからである。イデオロギーは、イズム・思想・設計思想とも換言できる。

ピアノ独奏曲の演奏にしたって、テンポ・ルバートやリズムルバート、楽譜の改変・付加などは珍しくない。バロック時代に至っては、改変・即興が前提で楽譜が組まれていた。

フジコヘミングの何がまずいのか。

  • 本来技巧を披露するための曲なのに、テンポをゆっくりに設定して演奏すること
  • 逆に、ショパンのノクターンなど、本来はゆっくりのテンポに設定されている曲を、早目のテンポで演奏すること
  • ミスタッチが異様に多いこと。そして、そのミスタッチすら許容される美的基準を設定されてしまっていること
  • 楽譜の難易度の高いパッセージを、省略すること
  • 曲の弾き直しを本番中にやること

これらを見ると分かるのだが、ポピュラー音楽・ポップスなら本来問題視されないことがらが、フジコ・ヘミングに対する眼差し・批評において、問題視されていることが分かる。

玉置浩二などもよく既存曲のカバーをするが、テンポはルバートするし、メロディも頻繁に崩す。

なぜ玉置浩二は神のように崇められ、フジコ・ヘミングは蔑まれるのか? それは、フジコが一度たりとも原曲に忠実な演奏をしていないからだ

もし、仮にフジコがコンスタントに超絶技巧曲を技巧曲のままに演奏していたならば、クセの強いピアニストだとは思われても、下手くその烙印を押されることはなかったろう。

普段は楽譜通りに演奏できるピアニストなら、リストのラカンパネラのあのテンポは、ホロヴィッツ のトロイメライのように受け止められる。

(幼少期の思い出、穏やかなメロディ)

パラレル世界におけるフジコ・ヘミングを想定する

フジコ・ヘミングとは、いうなれば嫌われる要素の役満状態にいる人物だ。この役満が、満貫止まりであったり、リーチのみの世界はあり得た。想像もしやすい。

「私はクラシックのピアニストとは言えません」と宣言する

先述したように、フジコの演奏・解釈は、クラシックのイデオロギーに反している。

正確に言うなら、イデオロギー・イズムに由来するぼんやりした判定基準とレギュレーションに違反している。

なら、「私はクラシックのピアニストではありません」と宣言してしまえば、今彼女に向けられているヘイトは随分やわらぐことだろう。

自作曲を演奏するのも良い。ただ、フジコを見に来るお客さんは「クラシックの懐メロ(?)を聞きたい」との思いからくる人も多いので、客足は減るかも知れないが……。

もうちょっと謙虚になる

このインタビュー中に、「超絶技巧曲も、心をこめて惹かなければ薄っぺらい」だとか、「大家から称賛を得ているから、評論家から酷評されてもなんとも思わない」だとか、尊大な発言が目立つ。

面と向かって相手を批判する奴なんかなかなかいないし、そもそも中村紘子などからも批判はされている。

「これが私の演奏」と他の媒体で語っているわりに、他の演奏家からの評判も気にしたり、矛盾の多い人物であるが、私自身もダイエットを宣言しながらペヤングを食べているので、人のことは言えないだろう。

「フジコ・ヘミングのことを語ろうとすると、どうしても色眼鏡をかけてしまうので、語ることをやめた」という人がいる。

よくフジコは「無国籍だった」「一度聴覚を失ったが、回復した」などのストーリーを消費されているだけと批判されている。

だが、フジコへの批判は「演奏技術が低いのに、NHKがドキュメンタリーとして取り上げ、結果一般層に人気が出たピアニスト」であることを抜きに語れない。演奏だけ見れば、ただの音のよく外れるテンポの遅い楽譜の改変が多い演奏である。

無視されこそはすれ、憎む対象ではない。ここにジレンマがあって、「ストーリーを消費している」との批判も、純音楽だけにフォーカスした言説にならない。

クラシック音楽のイデオロギーとは、理想的には、作曲者・演奏者・演奏年代がそっくり別に入れ替わっても、評価が変わらないことである。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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