誰が悪いのか問題に関する最終的解決

未来予測に関して一般国民は冷ややかである。たぶん当たらないだろうと思って聞いている。

しかし、現象の分析、あるいは歴史を語ることに対して、我々が未来予測に対して保持している態度は往々にして適用されない。

あまりにもざっくばらんに語ったが、「キリスト教には、他宗教を許容する大らかさがない。キリスト教のドグマ「人類皆兄弟」は、異教徒に対して「人間」であることを認めない。ユダヤ教はその選民思想により、イスラム教はアブラハムの宗教に対する言及により、キリスト教のもつドグマティックな態度が解消されている

このセンチメントに対し「イスラム教は他宗教に対して全然寛容じゃない」と感想を抱くのは、おかしなことではない。しかし、コーランにはイエスとキリスト教に対する言及があり、コーランが、キリスト教徒を排除すべきものとして描いていないのは確かだ。

他に具体的例を挙げると、19人の犠牲者を出した植松聖の相模原事件に対して、「植松は知的障害者を殺したかったのだ」「社会の役に立たない者たちは、税金で活かす必要がないと考えていた」「植松は、ハートレス・心失者という、名前と住所と年齢を言えないものを、物質と見なしていた」などなど。

重度の障害者施設で働く者たちが、重度障害者に対して慈愛を抱いていない割合は、どれくらいだろう。植松と同じようなオピニオンを持ちながら、彼のアクションを起こさなかった者たちの割合はどれくらいなのか……

私はほとんど、銃乱射事件を起こしかけていた」と語る男を、Tedで見た。

なんの根拠もないが、この人が乱射事件を起こす未来はなかったような気もする…自殺したり、薬物・アルコールに溺れることはあったかも知れないが。

グローバリズム

曖昧な言葉の使用は、学者同士の議論では避けられる。しかし、想定される聞き手が大衆である場合はその限りではない。

エドワード・サイードは、仲間内で使われるジャーゴンを極力避けていると、浅田彰との対談で語っていた。例えその用語がより正確であろうと、大衆は意味を解さないからであり、ジャーゴンの使用は、大衆を主張から遠ざけてしまう。

しかし、意味を誰もよく分かっていないのに、広く流通する言葉がある。

「グローバリズム」は、その代表例である。

もちろん、語意だけを見れば、”地球主義”でしかない。ただ、人がグローバリズムについて言及するとき、多くの場合は批判的な文脈で“グローバリズム”が用いられている。体感でしかないが、少なくとも、2000年以降はそうではないか?

  • グローバリズムにより、先進国の製造業が成り立たなくなった。
  • グローバリズムにより、国民国家の概念が崩壊した。
  • グローバリズムにより、民族アイデンティティが破壊された。

主張の是非はともかく、このレトリックは実際上、何か良からぬこと・悪いことが起こった際、原因を一つに絞っている。そんなわけはないのだが、言葉を使うというのはそういうことだ。

国内の製造業の衰退原因を、国際的な金属価格の高騰、人件費の増加、オートーメーション化、政治家の補助金切り、大企業の買い叩き、下請けいじめ、若者のオフィスワーク志向……。

ではなく、根本にあるイデオロギー・思想であるグローバリズムを批判する。

当たり前かもしれないが、問題の原因を全て語ることは出来ず、複数であっても何かを”原因”としてピックアップした場合、ほかの”原因”を隠蔽し、責任の主体(主体性)を曖昧にしてしまう。

この隠蔽作用は、原因が指し示す範囲が広ければ広いほど、より根本的であればあるほど 強力になる。

(ニューエイジ系の人が、チャクラやらスピリチュアルやらで世界を全て説明しようとする様子を思い浮かべてほしい)。

内部にあるのか、外部にあるのか

少子化は、日本の”問題”を語る際、必ず言及されるワードである。これがイギリスとかだと「EU」「移民」になる。

人間の心理傾向として、自罰的/他罰的という区分がある。何か失敗があったとき、自分が悪いと思う傾向を自罰的といい、失敗の際、”私”ではなく「運が悪かった」「パートナーが悪い」「天候が悪い」と外部に求める傾向を、他罰的という。 

あくまでも雑な区分なので、自他の区別をどうするのかは今は考えなくとも良い。

少子化および高齢化問題は、他国に原因を求めることのできないという点において、少し厄介だろう。

よく、環境と運の悪さと恵まれなさ、理不尽な条件下で暮らしていることを延々と愚痴る人に遭遇するが、いかに自分が愚かで才能がないか、頭が悪いか語る人より、メンタルが安定していることには同意してもらえるだろう。

信じるということ

アメリカの有料テレビチャンネルTLCの人気番組「90 day Fiancé」は、アメリカ人と外国人の恋愛模様を描いたリアリティショーである。

この番組に出演する外国人のなかには、明らかに国籍目当てで好きでもないのに好きかのように演技する人が何人かいるのだが、こういう人たちはいるだろう。ブラジルのファベーラで暮らすより、アメリカで暮らす方がマシなのは明らかで、そのために嘘をつく人がいてもおかしくない。

不思議なのは、外国人のパートナーを疑わない、ナイーブ(素朴)すぎるアメリカ人達である。…アメリカ人は特にピュアな心を持っているわけではないだろうが、60手前のおじさんが20代前半のキレイな女の子に好かれていると本気で思っている。もちろん、そういうケースもあるだろうが……。

この番組でフィーチャーされているナイーブなアメリカ人達は、現実と向き合うことをやめたように思える。

…私が植松聖に抱く感情は、なぜ大量殺人という長期的に見れば意味のない行動をとってしまったのかということだ。活動家になって、彼のいう心失者・ハートレスの扱いを変えようと大衆に問いかけるべきだった。…おそらくは、そんなことをしたって未来は変わらないと、諦めていたのだろうが。

「成長」だとか、「自己実現」だとか、自己改革を志すのは見上げた態度である。わたしにはかなり欠如している。

しかし、「自分を変えよう」と決意したとき、見えなくなってしまうものが沢山ある。厳密には見えなくなるのではなく、イデオロギーの作用において、原因であるはずのものが原因でなくなってしまう。

「話が通じない人」に遭遇したことはあるだろうが、嘘を語っていない限り、その人の話は最低一人(語り手)には通じているのだ。  

「話が通じない人」と、テクニカルに議論をすべきではない。奨励すべきは、理屈以前の欲望に触れようとする態度である。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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