名誉を守らないと死ぬ

子供の喧嘩は、つつきあいから始まって、つつきあいの応酬から殴り合いにエスカレートする。小学校低学年くらいから始まり、4年生までには終わるだろうか?このつつきあいからのエスカレートは。
自制心を覚えるのは、およそ6歳くらいらしいが、さすがに6歳になったとたん「ガマンする」ことを覚えたりしない。授業中に飛び出して、運動場で遊んだりする。
メンツ文化/メンツを守る
名誉だとかメンツだとかは、言葉は違えど世界中にある概念だ。勲章というのは、名誉を形に残すためのものだ。
刑法上だと、外部的名誉と内部的名誉に分けられるらしいが、一個人に外部的名誉というのはほとんどない。例外はタレントだとかYoutuberだろう。
「バカにされた」「小突かれた」程度でキレる子供時代を思い出し、そんな自分が自分にもあったなぁと思いだしていたが、最近では「その頃の感覚と、根本は変わっていないのではないか」と思うようになった。
高い時計を身に着けたり、いい会社に入りたがったり、結婚したり、子どもを作ったり。
どれくらいが「名誉」のためなのだろうかと思う。
メンツをないがしろにするとどうなるか
コナー・マクレガーにイスラム文化をまるごと侮辱された総合格闘家のマゴメドフは、試合に勝った後も暴れまわり、プーチンとの会談時にもたしなめられていた。
個人的に侮辱されただけなら、あれほど怒るだろうか?
民族や国籍を侮辱されたとき、暴力的な手段に打って出るというのは、なんとなく分かる。特にそれがロッカールームの1対1の場所でなく、公共の場で起こった場合、自分がそこでヘラヘラしてしまうと、それが続いてしまう可能性があるかあだ。千原せいじは、外国でぼったくられそうになった場合、積極的に怒ると言っていたが、それは他の日本人旅行者のためだと言っていた。
では、1対1の場面で、密閉された空間での、個人的な侮辱とどう付き合うべきなのか?
一度だけの、アンレギュラーな場所なら守るだろうか?例えば、密室で他人に妻と子どもを侮辱されたが、相手は重要な取引先の男であるとき。
自分なら、怒らずにニコニコと取引を済ませるだろう。もちろん、その男が他の人間に同じようなことをする可能性はあるが、家族の方が大事だ。
2=1対1の関係と、名誉
自尊感情というものがある。名誉というのは、称賛が名詞化したものであり、勲章は称賛のモノ化である。
この記事のノーベル賞の欄でも書いたが、アクション・行動・言動・言葉は、価値体系によって「良い」と「悪い」に区別され、その「良い」方向に導くモノは、名誉の対象となる。
もしも、自分のことを心のそこから無価値だと思っている人がいたとして、侮辱されても同意するだけで、怒りはしないだろう。
もちろん、侮辱の言葉がいつも対象者の自尊心を削るわけではない。言葉は物理現象とイコールで考えられない。
こう考えられるか?
自尊心(Self-esteem)とは、自分を尊敬する感情である。自分を尊敬するということは、「自分の価値を高いものとみなす」ことだ。
(他者の価値を低いものと見なさずに、自分の価値を高いと思うことは可能だろうか?)
たとえ、侮辱によって怒りが巻き起こらなかったとしても、相手が侮辱を試みたことはわかる。それは、暴力と呼ぶべきものだ。
バカにされたときに、カッとなって殴ったとしても、頭がおかしいわけではない。

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