「人体」の条件と限界は人間の悟性に関与する

無罪と有罪の間には、保護観察処分や執行猶予、情状酌量などのグレーゾーンが存在する。それはちょうど、夫婦喧嘩の原因をどちらか片方だけに被せられるようなケースがほとんどないのと同じである。

だがこの無罪ー有罪のグレーゾーンが適応できないケースがある。死刑である。

人間には「八割死んでいる」状態も「五割死んでいて五割生きている」状態が存在しない。命は、活動しているか停止しているかの二つの状態しかない。

多数決と人体と物質

人が五人集まったとする。その五人で料理を作ることになった。三人はラーメンを作ろうと提案し、二人はケーキを作ろうと提案した。

ここで折衷的に「ラーメンケーキ」を作ってしまうと、五人中誰の願いも叶えられない。

五人ならまだ各々の希望の料理を作れるだろうが、これが五万人となると毎週多数決で決まった料理を作るルールがあったとして、一生希望の料理を作ってくれなかった層は必ず出てくる。

しかし、ラーメンケーキを食べたときにラーメンとケーキを同時に(無理なく、おたがいを損なうことなく)感じられる舌が人間に備わっていたとしたら、問題は最初から発生しないのだ。

浮気と人体

浮気という概念があるが、「人生のうちでずっと一人の女性と肉体関係を持っていると、健康に多大な被害が出る」ことが人間の肉体・人体に備わっていたとして、今現在この世界でいう「浮気」「不倫」の概念は発生しただろうか。

最近思うのだが、女性の不貞にともなう妊娠に関しても、DNA鑑定で子供が実子なのか他人の子なのか判明できる以上(といっても99.999……%の確率だが)、旧来の価値観で女性を責める必要はないのではないか?

(人類は知らぬ間に女性の不貞に対して、DNA鑑定出現以前よりは寛容になっている可能性を否定できない)

恋愛と寿命と人体

中島らもが「人間にもし寿命がなければ、失恋しても人は何も思わないだろう」とどこかで書いていた。それはそうだろうが、そもそも「失恋」あるいは「失敗」なる概念も存在しうるのか危うい。

ただし、永久であることと永久に向かい続けることは違う。永久に生き続けている存在は想像可能だが、永久に生きた存在を私は想像できない。

あくまでも仮説だが、人が無限に生きるのならば、どんな人でも一度は新垣結衣と交際する瞬間が来る? だが、この仮説は「人は変わる」ことを前提にしないと導けない。

永遠なる世界を私は想像できないので、「人が永久に生きる世界ならば、あなたもどこかで一度は新垣結衣と恋人関係になりますよ」と言えない。

「永遠にあなたと新垣結衣を遠ざけようとする恋敵」は現れるだろうか? それに、あなたはいつまで新垣結衣と付き合いたいという思いを保ち続けられるか。

恒等式と因果関係と原因・結果

1+1=2というのは、因果関係ではない。時間の概念抜きに1+1=2である。”原因と結果”なるコンセプトは、”過去から未来に移動する時間・時間軸”なるコンセプト抜きにありえない。

とすると、少しこわいことを言うがガラスを落としてガラスが割れたとして、それは原因と結果のような因果関係ではなく、等号としてイコールでくくれる論理であることになる。

時間は存在せず、単に便利だから、世界は人間の目から見て変化するがゆえに時間なる概念を得たと主張する人は哲学者や物理学者に少なくない。

「永久になにも変化しない世界」があったとして、それを観察し続ける永久に生きる人は、時間なる概念を会得するだろうか?

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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