アイデンティティ・ポリティクスの解消策

正直なところ、アイデンティティ・ポリティクスが何を指すのかよく分かっていない。日常語彙における「当事者主義」を、政治的領域に適用したものだと認識しているか、どれくらい妥当なのか分からない。

…思うに、「アイデンティティ・ポリティクス」とは半ば悪口であり、聴衆に政策をアピールする際、自身がマイノリティであることをアピールポイントに加えたり、女性であることを強調したりする候補者がいたとき、「これはアイデンティティ・ポリティクスだ」「属性や出自ではなく、政治家は掲げる政策を吟味されるべきだ」と反発の言葉を単語化したのが、アイデンティティ・ポリティクスなのだろう。

アイデンティティ・ポリティクスと同じくよく分からないのが、部族主義:Tribalism である。”我々”と”彼ら”、”仲間”と”敵”に分け、評価を変える。

例示するならば、男性が「フェミニズムは大切だ」といえば、「モテたいだけ」といい、女性が言えば賞賛するような態度・風潮・傾向。

自民党の政策には無条件に賛成し、野党が同じ政策を主張すれば「予算の出所がわからない」「これは折りたたみ広告だ。信用するな」と言ったり……。

つまるところ、部族主義とは「この人は信用できる」「この人が言うことは正しい」といった態度を、政治議論の場で揶揄するために用いられる用語なんだろう。だから、「部族主義が大事です」とも誰も言わない。

目的を見る…トランプは白人至上主義なのか

「不法移民に厳密に対処せよ」から、「白人至上主義的イデオロギー」は見出せない。けど、そう反応する人は大勢いる。

トランプを、白人至上主義者である。レイシストであると糾弾する人は少なくない。しかし、彼は一度たりとも「白人は他の人種に比べ、優れている」とは言っていない。

疑わしきは、トランプはハイチを「肥溜め:shit hole 」と呼称したり、メキシコ系の移民を、「彼らはレイプ 犯だ」と言ったり、いかにも部族主義的な態度が見られるところだろう…。

実際のところ、不法移民がより多くの犯罪にコミットするというのは統計的に間違いである。犯罪が発覚すれば、本国に送還されてしまうため当然と言えよう。トランプは嘘をついていることになる。

また、トランプはソマリア系移民であるイルハン ・オマル議員に対し「アメリカが嫌いなら、本国へ帰れ」と言ったり、なんというか、品がないのは確かだ。

しかし、トランプの発言のどこからも「白人は優れている」との主張は見出せない。

思うに、白人至上主義:White Supremacist を、字義通り解釈しても仕方ないのだろう。「排外主義的な、白人の幸福追求だけを求める連中」くらいの意味だと捉えるべきなのかも知れない。ただし、”文字通りの意味”には力がある。

実質的には、主張からは「排外主義的な、ナショリナリスティックな白人の権利主張集団」というラベル・レッテルしか導けない者たちに対し、「白人至上主義者」と呼称することは、「アイデンティティ・ポリティクス」と指摘することと同じ力を発揮する。

「彼らの目的は、最終目的は、隠されたアジェンダは、未来に建設しようとしている支配体制は、白人の利益だけを追求する未来である」

誰かを白人至上主義者と呼ぶことは、そういったことを意味する。例外は、自ら白人至上主義者名乗っている場合だろう…。未だそれにお目にかかったことはない。

レイシストであること

かつて、「黒いウォール・ストリート」呼ばれた街・タルサが存在していた。黒人の成功者によって形成された街であったが、彼らの成功に嫉妬した白人の暴動によって壊滅してしまった街である。

YouTube で、タルサの動画を見てみると、アフリカ系アメリカ人らしき人たちが、「なぜこの事件を、アメリカ人はもっと知らないのか」などのコメントをたくさん発見できる。 

この手の動画は、アメリカの黒人・黒人にまつわる動画は、アメリカの人口比に比べて、有意に黒人の視聴数・視聴率が高い。自分に関係のある情報を集めたがるのは、人類集団の普遍的傾向だ。

この傾向は、人種差別だろうか?そうではないだろう。しかし、部族主義的ではあるかも知れない。部族主義的という言葉が強すぎるなら、部族的:Tribal と部族主義的:Tribalistic と区別できる。

…共産革命は「資本家への復讐」「かつての資本家を奴隷階級にする」運動ではない。資本家の廃止を目的としている。

仮に、アフリカ系アメリカ人のための団体・集団が、アフリカ系アメリカ人の利益・幸福を追求としてしまったら、それはそれはよりオリジナルの意味に近い部族主義に陥り、正義ではなくなり、排外主義的民族差別活動になる。

しかし、「アフリカ系アメリカ人は、歴史的に見て不当に扱われてきた。アフリカ系アメリカ人の利益追求は、平等の実現のために許される」と主張があるとして、それは間違いだろうか?

差別に対抗するためには、クォータ制が必要だろうか。

平等の実現と資本家

身長、ルックス、出身地、家庭環境、民族、人種、もろもろの要因により、人生のスタートラインは平等ではない。

私がアファーマティブ・アクションとクォータ制に対して見るのは、制度に潜む「不平等はあってはならない」というイデオロギー・理念である。雑な認識だが、彼らも雑に認識しているのはおそらく間違いない。

そのイデオロギーは、私も共有している。差別はあってはならないと私も言いたい。

…ときおり、アファーマティブアクションの推進者を、共産主義者・文化マルクス主義者と呼ぶ人たちがいるが、彼らは資本家の打倒など目的としていない。ようは、ただの悪口。

社会的・歴史的に不利益を被ってきた集団の、社会参画を促す人たちは、彼らに不労所得を与えようという運動を起こさないのだろうか?

つまり、黒人と白人、あるいは白人男性と白人女性の賃金・資産格差に応じて、定期的に給付しようという運動を、起こせばいいのにと思う。

社会参画を促すというのは、労働者であることを推奨することでもある。新自由主義者社会で生きろというメッセージが含まれている。

平等社会の実現のために

…クォータ制・アファーマティブ・アクションの問題点は、「あなたがこの集団ならば、この主張をしなければならない」とのメッセージを暗に含んでしまうことだ。

このうがちは、制度そのものからは導けない。説明をしよう。

「社会的弱者、あるいは特定の属性・アイデンティティを有する集団に対し、人口比に応じた、あるいは人口比以上の、発言力と政治的パワーを与える。これは、平等な社会を実現するために必要である。なぜなら、彼らは差別を受けており、同じ条件下では平等に扱われないからだ」

この主張は、アイデンティティに応じたエンパワーメントの肯定でもある。

この集団だから、あなたはこの制度の恩恵を受けられるということは、不利益を被るグループなしに成立しない。

不利益を被る多数派は、なぜ不平等を甘んじなければならないか?歴史だとか、差別的態度・態度にその根拠を求められるかも知れないが、”根拠”の前に先立つのが、「不平等」「差別」「罪」をと見なすイデオロギーだ。取り除かねばならないもの、贖わねばならぬもの…。

贖いと復讐は、表と裏の関係であり、内面=目的制の前提から区分される。

…差別などない。あるいは、贖いを要求しない。不平等の肯定を、社会的弱者が主張してしまった場合、それは部族間における”裏切り”を意味する。

政治的パワーは、集団圧力を必要とするためだ。

アファーマティブアクションという権益、弱者の優遇という制度が一度導入されてしまうと、それを保持するためのイデオロギー・言説を、無意識理に獲得する。

アイデンティティ・ポリティクスというワードから、もはや「何を主張しているかは需要ではなく、誰が主張しているか」重視する態度に対する苛立ちが見て取れる。

現代アートにおける”コンセプチュアル・アート”に対しても同質の感想を抱くのだが、概念の導入は、鑑賞態度を変容させてしまう。コンセプチュアルアートに批判的な作家の作品でさえ、非コンセプチュアルという枠を与えられてしまい、”コンセプチュアル”というコンセプトに光が当たってしまう。

…対立緩和策として思いつくのは、共犯意識を結ぶことだ。白人と黒人、あるいはインド人とパキスタン人でも同じだが、共に搾取する側であること、悪の側にあると認識すること。

部族主義が解消できないなら、同じ部族になってしまえと私は提言する。もっとも、イスラエルのパレスチナ人に対する懐柔策「宗教は異なるかもしれないが、我々は元々おなじ民族だった…」に対し、ご都合がよろしいなという感想を否定できないが。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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