説教をしているつもりはなかった

大学時代の友人と話しているとき「お前はいつも俺に説教する」と、死角からのパンチを食らったことがある。

「説教」というのは、俺の中では先生だとか上司だとか師匠だとか、「立場が上の人間が下の人間にするもの」なので、予想外すぎる指摘だった。

当時は反射的に反省してしまったが、自分は説教はしていないと思う。なぜなら「お前はいつも説教する」と言われたのは、それ一度きりだからである。

(もちろん、そいつが特別ダメなやつだった可能性もある)

相手のよくないところ、改善すべきところを言っていたのは間違いないが、あくまでも意見交換のつもりだった。反論あるいは反対意見、異なる意見はいつも僕は聞いている。

その友人は意見交換の場であると思えなかったんだろうか?だとしたらそりゃつまらないだろうな。

説教もしないし教えない

社会人は基本的に成長しない。業務を覚えたりなどはあるかも知れないが、例えば文章力などはどんだけ教えても伸びない。せいぜい1.1倍ぐらいだろうか。

だから、説教もしないし教えもしないというスタンスで、仕事を遂行している。

でも、「こうした方がいい」とまったく指摘しないわけではないので、相手からすれば「説教」なのだろうか?

僕は、人生でなんども説教を食らってきたが、相手はいつも先生だとか上司だとか親だとか、立場的に上の存在からであって、「友達から説教されている」と思ったことはなかった。

「言葉の使い方の問題」ではない

「これは言葉の使い方の問題だ」とは言い切れない。その友達からすれば、僕からの指摘も先生(『先生』的存在)からの指摘も、同じカテゴリーに入っているだろうからだ。

卑屈というか、過去に友達からいじめられ続けた人生を送ってきたやつだったので、もしかすると僕とその友人とでは「友達」の意味合いだとか、含む範囲、どういった存在なのか、認識も違うのだと思う。

いわゆる「マウンティング」をやりがちな性格だという自覚はあるが、もしかするとその性格への反撃と言うか、カウンターパンチも込みの発言だったのだろうか?だとしたら、かなりいいパンチだった。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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