芸術が情報ビジネスに過ぎないのなら

クラシック音楽の世界では、偽作の問題が付いて回る。

最近でも、佐村河内守氏のゴーストライター騒動が話題になったが、あれも「作品の良し悪しは、作品の出来で決まる」というテーゼに疑問を投げかける話題である。

だが、「どんな作品を作るかではなく、誰が作るかである」なるテーゼをラディカルに展開すると、そもそも無名の人間が有名になり、評価を得るプロセスが説明できない。どんな天才クリエイターだって、無名の時期はある。

また、「作品・作者のサイドストーリーが重要である」というテーゼにしたって、人生はさほど波乱ではない芸術家・クリエイターの存在が反論素材になる。

芸術家が皆、ゴッホやフジ子・ヘミングのようにドラマチックな人生を送っているわけではない。ルノワールの人生について日本人は(おそらく普通のフランス人も)何も知らないが、ルノワール展はいつだって大盛況である。

クラシック音楽と情報ビジネス

先程述べたクラシック音楽の偽作問題だが、モーツァルトの交響曲37番は、まさにその偽作問題の渦中にいた作品である。

元々はモーツァルト作とされていたが、後にフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟の作品を少し改変しただけのものと分かり、その事実が判明してからは、録音機会がめっきり減ってしまった。

当然だが、交響曲37番のテクスト(楽譜)は何も変わりが無い。変わったのは、作者が誰かであることだけである。

「モーツァルト全集」のような、作家の作品をまとめて収録する全集から漏れるようになたただけならまだしも、作品単体での録音がされなくなってしまった。

ネット有名な漫画の切り抜き画像、「奴らはラーメンを食っているのではなく、情報を食っている」を彷彿とさせるが、レコード会社及びオーケストラ・指揮者を擁護するならば、「ミヒャエル・ハイドン作」と「ヴォルフガング・モーツァルト作」とでは、全然売れ行きが違ってくる。レコード会社も、売れる曲をパッケージにしなければ存続できない。ペイできない。

だが、モーツァルトを称揚する際に用いられるターム「神性」だとか「シンプルな美」「単純な奥深さ」といった文句が、作者が変わった途端「未熟さ」「深みのなさ」といったネガティブなものに変わってしまっている事情は否めない。

そこまであからさまではなくとも、「モーツァルト作品」であるだけで許されていた・褒められていたことが、他の作者に代わるだけで許されなくなることは、十分に有り得る。

古今東西のあらゆる音楽テクストを入手できる現代において、モーツァルト風の曲を作るのは難しくない。そういった人もいるだろう。

彼らが評価されないのは、同じことを既にモーツァルト及び古典派音楽の作曲家達が行っているからだ。なぜ模倣者よりも”オリジナル”が評価されるのか、考え出すと難しいが、私は「最初に”それ”を見つけた人を評価しないと、集団にとって不利益が生じるため、剽窃は禁忌・違反として内面化している」と書いた。

この「最初にやった人はエラい」テーゼを応用して、「最初に”その音楽・テイスト・様式の第一人者”として見なされた人はエラい」の主張も導き出せる。

(または、「最初にその様式を”様式として”確立した。様式として認知させた)

モーツァルトがエラいのは、”モーツァルト風の音楽”の第一人者として歴史的に見なされたからだ。ファウンダーである。

(最近では、「モーツァルトは過大評価である。少なくとも独創的ではない」といった言説が回るようになった。同世代の古典派時代の作曲家の他の作品と、作風に大差はないといったこともよく言われる。私は事情に詳しくないが、逆に「モーツァルトはなぜ神格化されたのか?」と興味が湧いてくる)

私は、「音楽であっても、所詮は情報ビジネスだ」とは思わない。高名な作曲家であっても、評価の低い作品というのは存在する。また、芸術における「一発屋」の存在は、芸術の非情報ビジネス・ブランドビジネスの面を担保している。

ブランドの黎明期

どんな有名ブランドにも、無名の時期はある。少なくとも、”今現在”の知名度・ブランド力よりも、遥かに下だった時期がある。

弱小ブランドが、強力(?)ブランドへと変貌していくその過程に、あるいは無名の芸術家が有名な、あるいは「高い評価」が定まった状態に移行していく過程にこそ、情報ビジネスの核がある。

既に有名で、皆が欲しがるようになったブランドが作る製品とその経済運動に謎はない。

  • 欲しい人が500人いる
  • 100人分の製品を作る
  • 結果的に、製品が高騰する
  • それに伴い、製品の評価も(比喩的な意味で)高騰する

謎があるとすれば、「欲しい人が500人いる」の状態になるまで、そのブランドが何をしたかである。あるいは、「欲しい人が〇〇人いる」の状態をいかにキープするかの戦略

(名高きブランドが、名高くあり続けるための労力は計り知れない)

ブランドが評価を得るため、具体的に言うと「”そのブランド”の製品が欲しい」状態に至るまで、方程式のような戦略はあるのだろうが、悲しいことに私は詳しくない。

それに、ブランドが名を挙げるまでに経たプロセスは、各ブランドごとにきっと多種多様である。あるブランドは質実剛健に高機能な製品を作り続けたのだろうし、あるブランドはそれまでになかったかのようなデザインでプロダクトを生産しただろう。

(フランク・ミュラーのように)

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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