アイドルや有名人に認知されたところで…

  • アイドルの握手会に、特徴的な衣装で足繁く通う
  • Youtubeのコメント欄に頻繁にコメントする
  • ストリーミングサービスのライバーに覚えてもらおうと必死に努力する。

誰かが私を知ったところで、その人の人生に大した影響は出ない。誰か特定の人物に影響を与えうるためには、「名前と顔が一致される」ことだけでは足りない。バタフライ・エフェクトを試行しているなら話は別だが、そのような意識で認知を試みるのはレアケース中のレアケースだろう。

なぜ人はアイドルなどに認知されたがるのか。Googleを用いてサイトを複数覗いてみると、「その人にとって特別な存在になりたいから」と書いてあった。

特別な存在とは/特別なファンとは

あるアーティストの「ファン」が1万人いたとして、そのアーティストにとって個別認識できるファンは、一体何人くらいいるのだろう?SKE48の須田亜香里などは、ファンの手紙を全てではないにしろ、注意深く読み、「顔と名前と情報の一致」を全力で行っているらしいが、彼女はレアケースだ。「握手会」というファンイベントがある48グループだが、そのアイドルのうち「認知」されているのは1%未満だろう。

とりあえず、「認知」されることによって、ファンは「1%未満」のクラブに入ることができる。

しかし、例えばアイドルの握手会に出禁になるファンも「1%未満」である。しかし、わざわざ出禁になりたがるのはレアケースだ。

「1%」という”希少性”は、「全てあるいは大多数あるいは少なからぬ数の、ファンが認知を望んでいる」という論理空間において初めて浮かび上がる。

認知は至上目的ではない

“知られること”だけを目的とするなら、加害行為が手っ取り早い。認知を目的とした加害行為は有効である。その加害行為が甚大であればあるほど。

では、”知られること”が至上目的でないとしたら、なにが至上目的なのだろう?

(追記:「多少嫌われてもいいから、とりあえず知られたい」という人間は少なからず存在するらしい)

“エラくなりたい”という欲望

ある誰かにとって特別ということは、優先順位が高い/価値が高いことを意味する。またそれは、被認知者にとって存在の肯定を意味するだろう。

「名をあげたい」「エラくなりたい」という願望(「特別になりたいという願望」)は、一般的なものである。それが抽象概念である「社会」「一般社会」においてだと、”社長になる””有名になる””金持ちになる””芸術家として名を残す”などになる。

しかし、関係性には「私対(抽象的)社会」だけでなく、「私対個人」というのも存在する。

“その人にとっての”「特別な存在になりたい」「愛が欲しい」「価値を高く置かれたい」。

エラくなりたいという願望が人にはあると書いたが、むしろ「歴史に名を残したい」という願望は、「この人に覚えてもらいたい」という願望の発展形として考えるべきなような気もする。

結局のところ、「認知されたい」という欲望は、「勝ちたい」「抜きん出たい」という欲望と類似なのだろうか?

ではなぜ、特別に愛されたいのか

認知の目的が、「特別に愛されたい」だとすると、そもそもなぜ「特別に愛されたいのか」という疑問が頭をもたげる。

(「誰にでも優しい人ではなくて、自分に特別優しい人と付き合いたい」というのと、同根の問題なのかも知れない)

我々は「どうでもいい人」の情報を覚えたりしない

「名前と顔と情報を一致させる」というアクションは、労力がいる。そして、我々は「どうでもいい人」の名前を覚えたりしない。人がなにかを覚えるとき、それは通常必要があってされる行為である。

いわゆる「認知厨」と呼ばれている人たちは、その「人はどうでもいい人の情報を覚えない

」行動パターンを、倒錯/反転させ、名前を覚えさせることによって、「どうでもいい人」から脱却しようとしているのだろうか?

この人が私の名前を覚えている=個体認識=他の人間と区別してくれているということは、有象無象の「どうでもいい人」あるいは「どうでもいい情報」、関心を向けられなかった人あるいは情報から、一歩抜きん出ていることを被認知者に示してくれる。

あるいは、示していると被認知者は感じる…。

(この話題は、また別の機会に整理して語る必要がある)

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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