トランスジェンダリズム存亡の危機が去る日

妄想だと一蹴して頂いても構わないが、「同性愛がノーマライズされた後は、きっとペドフィリアがノーマライズされるに違いない」といった主張がある。頭のおかしいオッサンが一人主張しているわけではなく、結構な人が似たようなことを言っている。「一度、”進歩主義者”のやつらにジェンダー・社会の価値観・モラルを掌握されてしまえば、こうなることは分かっていた」うんぬん。

同性愛及び同性愛者に対するスティグマ(烙印)は、西欧においてマシになってきている。同性愛行為そのものが「犯罪」扱いされていた時代からすれば、大いなる「進歩」だろう 。もちろん、これらの法規定の変化を「進歩」とみなさず、「退廃」「悪徳」「サタンの勝利」であると見なす人らも現在大勢いる 。

アメリカの精神医学界において、1987年に同性愛が「精神障害」と見なされなくなり、2005年には同性婚が合法化された。西洋における同性愛の弾圧は、寛容だったり厳格だったりしたそうだが、今現在の寛容が恒久的に続くだろうか?少なくとも、500年くらいは続きそうだと私は思っていたが、案外30年後に同性婚が再び禁止され、「ソドミー法」が復活したりするのか?

LGBTとゲートウェイドラッグ理論と割れ窓理論

ゲートウェイドラッグというワードを聞いたことはあるだろうか?統計的にはほぼ破綻している理論だそうだが、「割れ窓理論」には、ちゃんとしたエビデンスがある。

…”割れた窓を放置してしまうと、街が荒廃してしまう”という懸念が、西洋の保守言論人に見受けられる。退廃=好ましくない文化・価値・価値観の、徴候を彼らはみてしまっているのだ。

先程述べた「同性愛者への寛容は、ペドフィリアへの受容に横滑りする」セオリー・予見。これに正当性ともっともらしさはあるか?

(話はズレるが、キリスト教徒は”同性愛”に否定的ではあっても、同性愛の感情そのものには比較的寛容である。行為には不寛容でも、悔い改めと回心があれば「元同性愛者」を受け入れる教会は多い。 つまり彼らは、「回心可能性」を担保に、結論=断罪を未来に棚上げしているとも言える)

米国においては、まず「ソドミー法」が1962年に廃止され、1987年には同性愛が治療の対象ではなくなり、2015年に全ての州において同性婚が合法化された。社会の進歩=変化は、通常漸進的である。例外は「革命」など。

「次は死体との行為が合法化されるぞ!」という予見も、それほどクレイジーなものではない。ソドミー法の復活があるとしても、まずは同性婚の廃止よりも前に、同性カップルの養子権剥奪から…ではなく、「反トランスジェンダリズム」から始動するのは間違いない。因果関係の記述は難しいが、”徴候”は皆さんにも見えるだろう。

生物学的な性と、ジェンダーアイデンティティ(性自認と性他認の混成物)が一致しない人物がいたとして、彼らが宣言した性を尊重しましょうというモラルが形成されたとする。この理論は(セックスではない”ジェンダー”という概念はと言い換えても同じだが)、人種および民族にも、容易に転用・援用されうるからだ。

注目すべきなのは、トランスジェンダリズム自体ではなく、それに社会がどう応答するかである。Akonが仮に「私は白人の女です」と宣言した際、社会=他者は、どれくらい尊重すべきなのだろうか?女であることは認めても、白人であることは認めない?

「トランスジェンダーの次は、トランスレイシャル(Trans-racial)だ」なる予見を、クレイジーな妄想として思考の隅においやるべきではない。セオリーの恣意的な運用と適応の肯定は、本質的に差別discriminationだ。「こっちの宣言は尊重するけど、そっちの宣言は尊重しない」態度の肯定とは、専制政治の肯定でもある。

反トランスジェンダー

ツイッターなどで「ジジェクはトランスフォビアだ。奴にはマルクス主義者としての顔と、極右としての顔の二面性がある」といった呟きを発見した。何事かと思いググってみると、ジジェクがトランスジェンダーに関するコラムを寄稿しているのを発見する。

「常識的観点」から見て、ジジェクは至極まっとうなことを言っている。まとめると

「”あなた”はあなたが何者か決められる。そして、”皆あなたが決めたあなた自身の「定義」を受け入れてくれる”という言説は素朴すぎる。」そして、謎めいているが「喜びというのは、痛みと密接に連結している」。

(他にも、LGBT運動における「社会構築主義」的見解の支配などにも触れているので、詳しく知りたい方はリンクを押して下さい。先日、日本の奈良女子大がトランス女性の受け入れを発表したが、男子校にトランス男性の入学を許可する日は、そう遠くない未来に到来するのだろうか?)

引っかかるのが、ジジェクが「フロイト主義者として」と立場・足場・立脚点を明確に設定し、言説を展開していることだ。フロイトは精神医学・精神分析学の祖ではあるが、現代の精神医学では、あまり参照されない学者である。フロイトやユングの主張には、自然科学的なエビデンスが比較的欠落しているのは間違いないので、致し方ないだろう。

直感だが、ジジェクは”断定”を避け、対話を促すために「フロイト主義者」とまず名乗っている。

「私は<この立場・立脚点>から物を言います」を言われれば、「私は…」と人は考える(ことを要求される)。ジジェクは遠まわしに、「LGBT運動には、自己省察/「自らを省みる」態度が欠落していないか?」と、かなりアクロバティックに、婉曲に表現している。

(申し遅れたが、私はジジェクのファンである。ジジェキアンと名乗るのはおこがましいので、名乗らない)

参考文献:ミシェル ・フーコーによる同性愛者の歴史 同性愛研究の思想的意義

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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