他人と、見返りを求めない愛(贈与)

嫌いではないのに嫌いだと思われたり、相手はこっちを好いてくれてるのに、好意をお返しできなかったり、望まないお見合いを望んで来たり、梯子を急に理不尽に(私の主観ではあっても)外してきたり、急に傷つけてきたり、しんどさを分かってくれないったり、泣いて電話をしてきた相手をあしらったりする。

(主語は他人あるいは私)

私が受けてきた仕打ちと、私がしてきた仕打ちを区別せずに並列した。

見返りを求める愛について

見返りを求める愛は卑しいものだと私は思っている。そして、競争社会において勝つ算段で勝負に参加するのは、誰かのパイを奪うことでもある。

就職も受験も恋愛も

競争倍率が1.0倍以上の会社あるいは大学に入ること、専有契約に基づくパートナーをつくることは、誰かのパイを奪うことでもある。

反論

その会社に利益をもたらせば良いではないか?立派な社会人になり、大学に威光を加えれば、相手をほんとうに幸せにすればいいのではないか?

私にしかできないことがあるとすれば、あるいは私にしか幸せにしかできないことがあるとすれば、そのパイの奪取は正当化できる。そんなものはないが、思い込むことと、思い込ませることはできる。

親は特別な人間ではない

親は、子供にとって特別な存在だが、他人にとってはそうではない。遺伝情報を受け継いでいるからではなく、物心つく前から庇護下にあり、愛をずっと受け続けてきたから、親というのは特別な存在になる。

脅迫と贈与

返報性の原理に以前言及したが、脅迫によってずっと贈与を強要し続けている/させ続けている関係性は存在する。

原則的に、人はしたくないことができない。物理的に特定のアクションが実行不可能な状態であっても、そのアクションを選んでいるのは「あなた」である。

報酬」(曖昧な概念だが)のために、人は我慢する。

快楽原則 とは、そういうことだろう。あとよく分からないが現実原則とやらも。

なんのために生きているのか、何に悩んでいるのか

カウンセラーの現場において厄介なタイプの人は、「なんで苦しいのかわかっていない人」あるいは、「なにが悩みなのか本人もよくわからない人」らしいが、たぶんこういうことだ。なにがしたいのか、なにがしたくないのか、なにを望んでいるのか、なにが嫌なのか。教えてくれる人はいない。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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