萌えとは「かわいい」の感嘆詞表現であり、インポの嘆息である

「萌え」とは何か。赤松健曰く、「萌え」が成立するための条件として

  1. 性行為を伴わない
  2. 自分のほうが「強い」
  3. そして、現状の肯定(関係の肯定)

そもそも、「萌え」とはインターネットから自然発生した単語なので、赤松が後乗りで「萌え」をなぜ定義しようとしたのか分からないが、おそらくは「萌え漫画」と呼ばれる作品がポルノとして見なされることを回避しようとしたのだろう。

「萌え」というのは、用法を見る限り「かわいい」の感嘆詞・感嘆詞化したものでしかない。

赤松健の定義からほの見えるもの

宮崎勤以前と以後とで、漫画・アニメオタクに対する風当たりはまるで違ったらしい。宮崎勤以前は、オタクは「なんとなく気持ち悪い人たち」だった。宮崎勤以後は、「ロリコンの性犯罪者」と見られるようになった。

2000年代を過ぎて、オタクに対する風当たりも弱まったものの、オタクが未だに厳しい目で見られていることに変わりはない。

世間の人(非オタク)にある心配・懸念とは、「萌え」だとか言っているが、根本は性欲ではないのか。二次元の幼く見える(そして、設定上も中学生高校生の子に)性的な願望を抱いているのではないかという見地。

赤松健の「萌え」の定義は、正確には1つ目と3つ目の定義は、そんな世間の見地をかわすために編み出された政治的な定義である。

  1. オタクと呼ばれている人たちは、二次元の未成年の女の子と性行為をしたいわけではない
  2. オタクと呼ばれている人たちは、「萌え」るとき、恋愛・性愛の対象ではなく、父性・母性の観点から女の子たちを見ている・愛でている

そんなわけはないのだが(二次元作品の同人誌作品の多さを見れば、赤松の言説が戯言であることはすぐに分かる)、開き直って「オタクは二次元少女に欲情しています」と言えない事情がある。

「萌え」漫画と萌えの定義第2番目

赤松健の「萌え」の定義2番目は興味深い。「けいおん!」を批判する紋切り型のワード「美少女動物園」の定義と重なる部分がある。

アニメ美少女たちが、冒険するわけでもなく喧嘩するわけでもなく、ダラダラと日常を過ごしているだけの日々を切り取った漫画・アニメは山程あるが、「萌え」あるいは「かわいげ」だけを観察対象に求めるのなら、単にアホであれば良い。

庇護欲あるいは父性・母性をかきたてる対象さえあれば良いという態度は、右翼みたいなことをいうと退廃的で危険だと思う。だが、作品鑑賞からストレスやハラハラを極力排除したい層は、いつの時代もいる(水戸黄門ファン、異世界転生なろうファン)。

また、定義の三番目も美少女動物園的なフィールドと重なる。関係の肯定とは、現状の肯定でもある。我々は赤ちゃんや犬猫に労働や学習を求めない。存在しているだけで我々は癒やされるからだ。ペットは、牛車の牛ではない。怠け者の牛車の牛に、我々は萌えることができない。

「萌え」とポルノ

赤松健の「萌え」の定義の九割は、オタク弁護でできている。そもそも、パンチラやラッキースケベだらけの漫画を書いている男が、「萌え」の定義の一つとして「性行為を伴わない」と主張したとき、呵責を感じなかったであろうか?

おそらく赤松はこう反応する。萌え漫画の主人公は、自らパンチラを求めるものであってはならない。パンチラが発生したとき、それ以上を求めたら「萌え」から外れる。

(ポルノになる?)

仮に成人雑誌の過激な下着姿の女性の写真があったとしても、見る人が「それ以上」を求める気持ちにならなければ、それは「萌え」になる。だが、仮に下半身が反応していれば、それは体が「それ以上」=交尾を求めていることになるので、気持ちの上ではどうか知らないが、体は「萌え」ていない。

どんな被写体だろうと、見た人が勃起あるいは性的興奮をすれば、それは「萌え」ではない。あなたは「萌え」ていない。

逆に言えば(?)、インポの男は常に萌えている。インポの男たちは、それ以上を望むことがかなわない。

結論:萌えとは「かわいい」の感嘆詞表現であり、インポの嘆息である。

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桜田真助
  • 桜田真助
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    平成大阪生まれ。Webライターとして活動中。仕事の依頼等はTwitterにお願いします。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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