擬古は、擬”古拙”でありうる

擬古典主義(擬古主義)なる言葉がある。字面通り、古典に擬するという意味だ。。

“古典”はたとえばベートーヴェンならバロック時代の音楽様式を指し、日本(文学)で擬古文といえば、いわゆる文語様式を指す。

バロック様式はバッハの時代にある種の飽和点に達し、対位法を駆使した作品様式は絢爛の極地だった。旧世代で終点に至ってしまったので、ベートーヴェン前後の作曲家は対位法ではなく主旋律ー副旋律で解釈可能な、現代ポピュラー音楽に通ずる手法で作曲を志向した。

対位法(的手法)が完全に廃されたワケではなく、各作曲家は古めかしい響きを各者各様のやり方で自作に取り入れている。換骨奪胎。

対位法およびハーモニーも、元は二つの旋律を重ねるだけだったのが(グレゴリオ聖歌などは、今でも単旋律だ)、三つになり、四つになり、どんどん”洗練”≒複雑化した。

どの時代に擬するのか

ベートーヴェンが学んだのは、バッハやヘンデルであり、グレゴリオ聖歌ではない。太初の音楽形式ではなく、その後の発展に発展を重畳したルネサンス=バロックの形式を工夫して己が創作に活かそうとした。

話が変わるが、ロック音楽の世界には「グランジ」なるジャンルが存在する。grungy (汚い)なる罵倒語を顛倒させ、意識的に、美意識とともに、彼らのこいねがう芸術を追求する音楽運動。

“グランジ”の演奏家たちは、ハードロック・メタルの超絶技巧を披露しないし、ネオクラシカルのような壮大さも求めない。あえて、それをのぞみ、古拙を冀求する。

古拙とは、技巧などが拙くとも味があるサマを形容する言葉。西洋音楽史でいえば、グレゴリオ聖歌が「古拙」の位置を占めるだろう。

擬”古” を人が志すとき、大抵は研磨されたのちの時代を見初める。だが、いつなんどきでもそうなのではない。創作技法の爛熟以前=古拙を追い願う場合も、決して少なくはないのだ。

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桜田真助
  • 桜田真助
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    平成大阪生まれ。Webライターとして活動中。仕事の依頼等はTwitterにお願いします。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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