ヒュームとナンセンス

デビッド・ヒュームは、人間本性論の第一章第5節で、関係:relations について触れている。ヒュームの著作は哲学に明るくなくとも読める明快さがあるが、第一章の第4節~第7節は理解が他の箇所と比べて大変だ。ここで少しシッカリと読んでみる必要があるだろう。

ヒュームは「第5節:関係」において、「類似がなければ、哲学的な関係は存在できない」と書いている。

これに関して、2つの解釈ができる(もちろん、私の解釈)。例えば、川合俊一と矢口真里の高さは比較できる。川合俊一とエヴェレストの高さも比較できる。しかし、川合俊一と円周率の高さは比較できない。

なぜなら、円周率は高さをもたないからだ。よって、「川合俊一と円周率の間に、高さという関係は結べない」ことになる。

もう一つは、ヒュームの哲学的:philosophical というワードに注目し、「川合俊一と矢口真里の高さの比較は哲学的な意味での関係があるが、川合俊一とエヴェレスト高さを比較しても意義がない」との見方ができる。

ヒュームの時代に既にあった言葉なのか分からないが、「川合俊一(矢口真里でも可)とエヴェレストの高さを比較したって、それはナンセンスだよ」と短く換言できよう。

ここから話を広げて、1つ目の解釈を「『強いナンセンス』の否定」、2つめを「『弱いナンセンス』の否定」と関係を用いて比較できる(と、私は言いたい)。

柄谷行人は著書「日本精神分析」中において、「『日本論』は、韓国などの置かれた環境との比較で始めて見えてくる・立ち上げられるものであって、日本とアメリカを比較してもしょうがない」といった旨のことを言っていたが(手元にないので、うろ覚え)、これは「日本とアメリカを比較して書き上げられた『日本論』なんか、読む価値がない」と言いたいのではなく、シンプルに「ナンセンスである」と言っているのだと私は思っている。

(「日本とイギリスと比較した上で書かれた『日本論』なら、アメリカ比較版よりはマシだ」と私から注を入れる)

2つ提示した内の後者の解釈は、柄谷が「日本精神分析」で言っていたことに近いのかも知れない。

類似:Resemblance

ヒュームはまた、類似:Resemblance がなければ、観念の結合または連合を生み出すことがないとも書いている。あらゆる個物に共通性がある性質は、想像力がその性質:Qualityを記憶にとどめようと思っても、その記憶にとどめる作業を防いでいまう。

言っていることがかなり難しいが、ヒュームは複写原理:Copy Principleなるものを主張しており、それに因れば、「単純印象と単純観念は対応している」。

そして、単純印象は、外界からもたらされたものなのであるとヒュームは主張している。

(生まれながらの盲人は、色を想像できないとヒュームは例を引いている)

またヒュームは、「観念は、印象から移される」とも言っている。
この3つのロジックを前提にして、類似のステートメントをパラフレーズすれば

観念連合・観念結合を生み出さない性質:Qualityは、世界と対応していない

と、なる。それは、哲学者がとりくむべき仕事ではないとヒュームは言いたかったのだと推察できる。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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