フィクションに興味を持てない人がいること

どれほど精緻に練り上げられた作品であっても、それがフィクションであるというだけで作品に入り込めない層が存在する。

もちろん、”自覚しているからそうだ”と断言はできないが、例えばディズニーランドのミッキーを見たとき「どうせ中は人間だ」と思ってしまい、冷めるといったような感覚はありうる。

フィクションに興味がわかないからと言ってダメとは言わないが、疑問に思うのは「ノンフィクションしか鑑賞しない」層なのか、「エンタメコンテンツをそもそも鑑賞しない」層なのかどうかだ。

世の中の大半の娯楽作品は、フィクションだと銘打って販売されている。「作り物だと思ってしまって、フィクションに興味が持てない」と感懐を抱く人たちのなかには、一般的に世の中に出回っている作品に、入り込めないだけかも知れない。

フィクションとノンフィクションの区別

「ノンフィクション小説」あるいは「ドキュメンタリー映画」は、「フィクション小説(?)」と「ノンドキュメンタリー映画」と、形式では区別できない。

モキュメンタリーなるジャンルがあることそのものが、ドキュメンタリーと非ドキュメンタリーの区別が原理的には不可能だということを意味する。

(注:もちろん、虚構であることを隠さないモキュメンタリーと、いかにもドキュメンタリー風なモキュメンタリーを区別できるだろう。例えば、松本人志の「大日本人」だって、日本を護るヒーローへの密着取材という装いをしている)

また、”事実に即して撮られた映像”と銘打たれているかも知れないが、そうではなかったケースなど山程ある。

(プロパガンダ映画を思い起こして欲しい)

だが、「虚構だろうと非虚構だろうと、形式上の区別はつかないのだから、フィクションも楽しめるだろう」というステートメントは、片手落ちだと思う。

「フィクション楽しめない」層とは、「どんなに素晴らしい作品でも、フィクション(作り事)だと思ってしまって冷めてしまう」層だと想定できる。

他人の感性を否定するようで悪いが、フィクションを楽しめない人生はもったいないと思う。それに、ノンフィクションだって情報の取捨選択や、作者の視点などが介入しており、「生の現実」とは言えない。

シンプルに、合理的でない。

(「小説を楽しめない」「映画・ドラマを楽しめない」ならまだ分かる)

シミュレーションとフィクション

プログラミング言語なら、意味をなさない文字・単語の配列を入力しても、なんの反応も起きない。ちょうど、車のシートを叩いても、クラクションは鳴らないのと同じである。

しかし、人はフィクションに感動できる、恐怖できる。フィクションを楽しめないという人は、「実在する」「存在する」の定義を、考え直す必要がある。

(そんな自分を変えたいのならば)

フィクションの登場人物は、確かに存在しない。しかし、そのフィクションが存在した未来と、存在しなかった未来とでは、人々の生活が違う

フィクションという観念・アイディアを嫌う人は、物理的なロジックは分かるが、他人の情感を楽しめない人が多いように思う。

フィクションを楽しむには、状況をシミュレーションしながら読む必要がある。「我々が生きているこの世界」をベースにしている(という前提)で書かれたノンフィクションと違い、フィクションは物質として、あるいは歴史として、存在規格を与えられない。

フィクションは観念上の拵え物でしかないが、それは「変わらないという在り方」で存在している。書店に平積みされた小説は、いつ読もうが内容は変わらない。

観念でしかいないものであっても、フィクションは”強固”である。読むたびに内容が変わる小説でも無い限り、”その本”はずっと変わらぬまま在り続ける。

フィクションを楽しみたいが、どうせ嘘だと思って冷めてしまう人は、「ある」だとか「ない」を、観念の観点から捉え直す必要があるだろう。

フィクションの弱点

ドラゴンボール世界では、人は生き返る。タッチの悲劇的な展開だって、ドラゴンボール世界なら何てことはない。死者と会話もできるし。

この「現実にありそうもない可能世界のルールで、物語を展開できる」のはフィクションの強みでもあり、弱みでもある。

ノンフィクションなら、矛盾した記述はそのまま矛盾・間違いとして処理していい。ノンフィクションの本で、死んだはずの人間が再び作品内に登場すれば、それは作者のミスか超常現象である。

だが、フィクションだとそうはいかない。魔法が使えないと作中で説明されていた種族なのに、魔法が使える人物がしれっと出てきたとする。

「例外がいる」と考えるよりは、「作者のミス」と考えた方がいい。なぜなら、世界観からしてあり得ない(そぐわないではなく)存在・現象は、その作品の読み方・モードを根本から覆すからである。

「魔法を使えないから、魔法を使える強大な魔族に滅ぼされた」はずの種族の生き残りが、何の説明もなく魔法を使ってしまうと、じゃあなんで滅ぼされたんだという話になる。

フィクションを読む大変さとは、こういった世界観の認識及び、矛盾の解釈方法にある。シンプルにしんどい作業だ。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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