最悪のなかの最高(ヘタウマ含む)になるための道

YouTubeで、「最悪のバンド集」なる動画を見た。数々の最悪のバンドのパフォーマンスが出てきたのだが、この動画の二番目に出てくるバンドはコメント欄で妙に好評だった。
半裸で、ガンズアンドローゼスを弾いているこの少年たちは、なんでここまで公表を集めたのか考えてみる。下手うまというが、評価される下手と評価されない下手がおり、何が違うのかわかりたいからだ。
堂々としていること
この半裸バンドの良いところは、表現に照れがないことである。お笑い用語で言うと、マンキン(=全力)でやっている。
下手くそを茶化すためにわざと下手に演奏してしまっては、この味は出ない。
フジコ・ヘミングや相田みつをの評価にも繋がるのだが、拙さ(と一般的に見なされる要素)を堂々と、恥ずかしからずにあけっぴろげにするだけで、ある程度のフォロワーはついてくる。
「俺達は間違っていない」という態度は、聴衆を混乱させる。「こちらが間違っているのだろうか? 古いだけなのだろうか?」と戸惑わせる。
照れながら演奏するというのは、自分(達)のやっていることに確信を持てていないことを同時に意味する。その照れにも良さはあるのだが、技術的に劣っていてなおかつ照れているのは、普通の下手である。
どんなジャンル。タイプでも、抜きん出なければ人気はない。
半裸でやっているのもポイントが高い。ロックバンドの表面だけはしっかりマネしているので、見た目だけは実力派に見える。そのギャップ・落差が印象の強さを生んでいる。
生半可な下手さじゃないこと
どんな素人でも、少し練習すればそれなりにまともに鳴らせるのがエレキギター・エレキベースである。ドラムは、それなりのリズム感があれば、曲が崩壊することはない。
このレベルの”下手さ”、異様さは、本来は訓練を積んだプロでやっと再現できる類の表現だ。逆才能・マイナス方向の才能とも言える。
繰り返しになるが、下手界においてもオリジナリティや突出度は問題になる。
下手な演奏パフォーマンスは、世になかなか出られない。つまり、聴衆に新鮮な感動を与えられる。
下手さをストーリーとして昇華する
ただの下手な演奏・作品は、ただ下手であるだけだが、そこに半生の苦労話や、ハンディキャップなどが加わると、失敗やほころびこそが、人間らしさ・苦労の証明・親しみやすさに繋がる。
フジコ・ヘミングは、ショパンの別れの曲の技巧的に難しい箇所を、バッサリカットしている。ただ、一般人はショパンの別れの曲といえば、冒頭のフレーズを知っているだけなので、懐メロ的な聞かれ方をする分には問題が発生しない。
むしろ、世界的ピアニストの超人的指さばきは、親しみにくさ・冷徹さを象徴してしまう。「等身大の自分」を投影できる人物ではなくなる。
技術を極めれば極めるほど、音楽の演奏は大道芸的な要素を帯びてくる。クラシック音楽などは特にそうだ。素人では、鍵盤楽器を除き音を鳴らすことすら難しい。
一流プロの動きには無駄がない。当然簡単そうに見える。簡単そうに見えるのに、手だけは残像が残る速さで動いている。親しみを感じるのは無理だろう。
(その表現の)第一人者になること
フジコ・ヘミングを評価するときに、ファンは
- 彼女のそれまでに人生が現れている
- 深みがある
- 楽譜通りに弾けるピアニストはたくさんいるが、このように弾けるのはフジコだけ
おおそこのような感じで褒める。この称賛から逆説的に、「同じような演奏ができる人がいてはならない」というテーゼが導き出される。
いつも思っているのだが、フジコ・ヘミングはクラシックファンや評論家から下手だ下手だといつも叩かれている。中学生レベルだとかなんだとか。
フジコ・ヘミングの解釈をそのままに、別のピアニストで再現してみたら、フジコ・ヘミングのファンはどう反応するだろうか?
嫌がらせにはなるが、フジコの人気はきっと衰えない。音を無視して「これはフジコっぽくない」と思い込むか、「パクリ」だとか、きっとそんなことを言われる。
もっとてらいのないフジコファンなら、「フジコがやるからあの演奏は良いのであって、他の人がやっても意味がない」と言ってくれる。そこまで正直なら、私も文句はない。
なにか一つ上手なこと・抜きん出ていること
ワーグナーのタンホイザーを、ピアノ用に編曲した曲を聞いたことがある。オーケストラで聞くと聞き取りにくい旋律・メロディが、ピアノだと鮮明に聞こえて新鮮だった。
フジコ・ヘミングの良さ(特徴・オリジナリティ)があるとすれば、装飾音を排してメロディを際立たせている点だろう。最近はやっている洋楽だと顕著だが、大衆は音一の少ないシンプルなメロディが好きだ。
あの半裸アンドローゼスも、ヴォーカルのシャウトなどプロらしさ・卓越性を感じさせる要素はある。絶対条件ではないが、”あと残りはすべてガタガタなのに、一つだけ上手い””全部ガタガタではない”パフォーマンスは、下手界において希少価値となる。

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