「トランス女性は女性ではない」と言えない理由

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

ドイツでは、ホロコースト否認を取り締まる法律がある。あまり詳しくないが、フランスなどにもあるらしいし、当然(?)イスラエルにもある。

これらの国では、ホロコースト否認が「ポリティカル・コレクトネス」に反しているのではなく、文字通り法律違反となる。「人類の半分はエイリアンだ」と言っても良いが、ナチスによるユダヤ人虐殺の意思はなかったというと、逮捕されるわけだ。

(つまり、「バカらしさの程度」で逮捕・規制されてるわけではない)

ポリティカル・コレクトネスは、日常生活における「マナー」と比較できる。タバコを排水溝に捨て続けても逮捕はされないが、近隣住民のトラブルには十分なりうる。また、他人の婚約者に対し「ブサイクですね」と言っても逮捕はされないが、良いこととは見なされないだろう。

仮に、「あなたはブサイクですね」と他人の容姿を評価することが法律で規制されるようになれば、他人を醜いと公共で発言することは”マナー違反”ではなくなる。逮捕案件になる。

マナー違反を犯した科学者達

DNAの分子構造の解明に大きく貢献した科学者であるジェームズ・ワトソンは、1962年にノーベル賞を受賞した。

ワトソン博士は、2007年に英国タイムズ紙で「社会政治では、異なる人種間に知能の差はないことに基づいているが、我々(白人)と黒人の知能に差があることは、いろんなテストがそうではないと言っている」といった旨の発言を行い、彼が務めていた研究所から追い出され、名誉職も剥奪されている。

ワトソンが意見を改める様子はなく、2019年においても人種間の知能差に差があることを主張している。

彼が主張する内容の妥当性はさておき、ワトソンは別に逮捕はされていない。ただし、欧米の学会から締め出されている。

これは、私的制裁・社会的制裁である。

自由と言論の自由

あいちトレエンナーレにおいて、2019年度の「表現の不自由展」が中止された。名古屋市長などから抗議文が送られたらしいが、中止をしたのは脅迫や抗議の電話によるもの。来場者の危険性が懸念されたためである。

このケースを、暴力を背景にした”民間”の政治的圧力によって中止したと見なしていいだろう。名古屋市長は反対していたらしいが、彼によって展覧会が中止されたわけではない。

…ヤクザが跳梁跋扈し「みかじめ料」を飲食店やらなにやらどこからも徴収する状況は、苛政を敷かれているのと変わりがない。「表現の自由」を守るためには、国家が介入する必要があるだろう。日本における芸能事務所の移籍の大幅な制限などは、「市場の自由」の名のもとに放置できない。

少し言っていることが変に聞こえるかも知れないが、表現の自由とは「民主主義」のようなもので。それにより政府の暴走を食い止める政治的役割を保証するものだ。表現によって誰かが不快になるとか、幸せになるとかは関係がない。功利主義的な「幸せ」なら、「自由」の範囲はできるだけ狭いほうが良い。

謎めいたセリフをいうが、「真実」というのは往々にして不愉快なものである。

「ポリコレとは何か?」考えても不毛である

脊髄反射的に、ろくに見当もせず「ポリティカル・コレクトネス」を批判する者らが大勢いる。しかし、仮に「ポリティカル・コレクトネス」=「マナーとしての不文律」だとするならば、1950年代にもあったろうし、原始社会にもあった。

いわゆる「ポリコレ」とは何か考えても有用な答えは出ないだろう。元々は厳密な用法で用いられていたかも知れないが、日常言語化してしまい、各々が都合よく(賛成派も反対派も)用いるようになってしまった。

しかし、「ポリコレ」周辺で使われるキーワード=概念をまとめれば、より彼ら/我々が何を要求し、何を指摘しているか分かるだろう。…少なくとも、何も知らないよりマシである。

ざっとまとめれば

  • 社会的弱者
  • Protected Class/Group
  • 搾取
  • マイノリティ
  • ヘイトスピーチ
  • マナー
  • ヘイトスピーチ規制
  • 法規制
  • 侮辱罪
  • ダイバーシティ(多様性)
  • 言論の自由(”表現の自由”を含む)
  • ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ
  • 性差別
  • 人種差別
  • 差別表現
  • ジェンダー/セックス
  • ジェンダーとセクシャリティの多元論

およそこのようなものになる。もちろんまだまだ足りない。

ここから、「”女性”は社会的弱者なのか?」「トランス女性は社会的弱者なのか?」「ダイバーシティの実現のためには…」「ヘイトスピーチとは…」などの考察、政治的実践を実行できる。

…そうはなかなかいかない。

「トランス女性は女性である」といった主張があったとしよう。あなたはそれに対する反論として「彼らは男として生まれた」「私は他の”生物学的女性”と同じように、彼女ら(!)(ここまでは皆譲歩する)を扱えない」などと述べる。

ここで”問題”が生じる。

まず、常識的感覚=一般倫理において、「差別」はいけないことになっている。「生まれ」ーー当人の将来の性質などで、人を侮辱したり、排外してはいけないのが社会通念だ。

そして、トランス女性は男性の体を望んで生まれたわけではなく、生まれてみたら「男性」という属性を所与されている。

「ほんとうは生物学的性性Xに生まれているはずだったのに、あるいはXに生まれていればセックス/ジェンダーに悩んでいなかったはずなのに、何かの手違いでYに生まれてしまった」人がいることになっている。(実際にいるのかどうかは関係がない)

…「トランス女性は女性ではない」というのは、単なる事実を言っているだけのように見えるが、言語行為はパフォマーティブなのか、コンスタティブなのか原則として区別できない。ジジェクのいうように、言語行為を行為性と確認性のそれぞれに、機能は還元できない。

ここから「トランス女性は女性ではない」という単なる常識的感覚による区別かのように思える言説でさえ「性差別」の相貌をもつことになる。

彼女らは「生物学的男性」を選んで生まれたわけではない。そして、彼女らは「女性」として扱われることを望んでいる。それに反対するというのは、性差別主義者であることの表明であり、性差別主義者であることを自覚できないのは、あなたが愚かであることの証拠になる。

また、もし「性差別主義者」であることを自覚しており、なおかつそれを改めないのなら、あなたの言説を”確信犯的”ヘイトスピーチ”(注:私の造語)と見なす。

社会的弱者なるクラスがあり、それはによる保護が必要である。あなたの言説および存在は、社会的弱者・プロテクテッド・クラスの保護の障壁となるため、あなたをデプラットフォーム(=場所を取り上げること)する。

いわゆる”ポリコレ棒”の活用とは、このようにして行われている。

  • 「そっちは男性差別的な言動を繰り返しているのに、それは性差別ではないのか?」
  • 「性差別ではない。女性は社会的弱者だから、これは性差別・ヘイトスピーチに該当しない」
  • 「私は、男性こそ社会的弱者だと思っている」
  • 「その認識こそ、あなたが性差別主義者であることの証拠だ」……

うんざりするやりとりだが、ある男が「強制性交罪を廃止せよ。レイプなど存在しない。女性はみんな挿入行為を楽しんでいる」と主張しだしたとして、まともに取り合いたいと思わないだろう。どれだけ反論しても

「あなたは、ほんとうのセックスをしたことがないから分からないのだ」と「無明の者」扱いされるのだ。私は、こんな男と会話したいと思わない。

ここだけ見ると人生に絶望しそうになるが、世界にいるのは二人の人だけではない。そもそも、「倫理」「道徳」は、人が2人以上いないと発生しないのだ。

「相手を言説で打ち負かす」ことをスパッと諦められることは、大人の必要条件と言っていい。ラカン風に言えば、象徴的去勢を受け入れること……

桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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