アート・ワールドは単一世界なのか

世界に数多あるコンバットスポーツ(そして今も新たなルールが生まれ続けている)において、ボクシングチャンピオンの報酬額は圧倒的である。

打撃のあるコンバットスポーツは、頻繁に試合が行えない。野球みたいに年100試合以上は到底無理だし、サッカーみたいに年40試合も不可能だ。

打撃のないBJJや、比較的試合ダメージの少ないWTテコンドー(オリンピックテコンドー)なら連戦も可能だろうが、これらの競技はボクシングと比べて、稼げない。

ボクシングに蹴りを足したキックボクシングにしろ、年にできる試合数は多くとも6試合、通常は3試合程度だろう。

キックボクシングのチャンピオンが、ボクシングのチャンピオン・MMAのチャンピオンよりも稼いでいなければならないということはない。しかし、現状のキックボクサーはボクシングよりも、そしてMMAの選手よりも稼げていない現状がある。

また、ムエタイはキックボクシングにクリンチの許容度を増し、肘打ちを解禁した競技だが(正確には、「K-1ルール」のキックボクシング)、キックボクシングよりも更に稼げていない。タイ国外に、ムエタイを見る習慣がないのだ。

アート・ワールドとの比較

何が「アート」で、何がアートでないのか。アート・ワールドなる概念があり、村上隆は「アートは、欧米の文脈の上で成り立っている」と語っているが、それは半分正しいと思う。

修正するならば、「欧米のアート・ワールド文脈において、アーティストは多大なる利益を獲得できるチャンスがある」。また、「欧米には”アートの歴史・先行作品のコンテクスト”なる制度・権威がある」と言い換えられる。

こちらのサイトによれば、日本のアート市場は年間100億円程度とのことだが、海外だと一晩に600億円も動くことがあるらしい。そう考えると、「アートとは欧米のものである」と思ったとしても、おかしくはない。

ボクシングのチャンピオンが年間200億100億稼ぐのは、ボクシングが最強だからだとか、ボクシングが優れているという理由からではない。単に歴史があり、テレビ放映の歴史があり、オリンピックに競技があり、世界の皆に「ボクシングを見る習慣がある」という理由からである。

「欧米のアートの文脈が優れているから、あれほどお金を生み出すのだ」と考えてしまうと、制度を取り違えてしまう。

人体とアート・ワールド

前言を撤回するようで悪いが、「アートの良し悪しは全てルールで決まる」とは言いたくない自分がいる。私は、原理的形式主義者ではない。

「K-1」興行を起こした石井和義は、本来のキックボクシングにあった肘打ちを採用しなかった。元はヨーロッパローカルルールだったらしいが、それを導入した主な理由は分かる。

肘は固く、なおかつ肌の表面を切りやすい。トニー・ファーガソンの対戦相手が軒並み血まみれになるのは、彼が肘打ちを多用するためだ。

ムエタイだと、TKO狙いの肘打ちが多用される。…目の上をカットしてそのまま試合を続行してしまうと、失明の恐れがあるため、試合がストップされる。

あまりに出血が多いと、地上波放映には向かない(特に日本だと)。つまり、人間の人体の制約が、ルールを作ったとも言える。

ボクシングのルールが分からない人はいる。しかし、肌の色が違えど、人間の構造・弱点は全世界で共通である。頭を強く打たれればフラフラになるし、肝臓を打たれると悶絶する。

格闘技(あるいはスポーツといい変えても同じ)には、「人間の体を使って行う」という物理的な制約がある。つまり、アートのように観念だけで成立する錯覚が発生しない。

アートをルールに基づいた形式主義的なゲームだと言うのは、一側面である。そこには、「鑑賞者・購入者・批評家は人間の体を持っている」という認識が抜けている。

悪いアートの一例として、「巨大過ぎる絵画」がよく挙げられるが、巨人族がいたとしたら、それは別に悪いアートの代表例にならないだろう。

民俗学的非西洋文脈のアート・ワールド

かつて、非西洋の”芸術”は、民俗学の研究対象ではあっても、”アート”ではなかった。アートではあったかも知れないが、同じアート・ワールドに属していなかった。

アート・ワールドには可変性がある。また、一つの尺度だけを信奉する必要もない。村上隆は、日本画は制度によって守られているというが、かつて教会によって保護されていた西洋の画家と何ら代わりはない。

(本来、芸術家とは制度と権力者によって庇護される存在だった。西洋の印象派のあたりから、依頼もないのに画を描く人が増え始めて、そしてその画を売るようになった)

ジェフ・クーンズの「マイケル・ジャクソンとバブルス」は、MJがバブルスというチンパンジーを飼っていたこと、そしてマイケル・ジャクソンその人を知らなければ、何の像なのか分からない作品だ。そしてその「ワケがわからない」のは、知性や「アートのセンス」の有無に起因しない。

(ジェフ・クーンズをアーティストとして認めない人、嫌いだという人、アーティストとして認めるが過大評価だと断言する人。…数限りなく存在する)

ブランド価値とアート価値

Supremeの限定品は、例外なく高騰する。需要に沿って商品を供給するのではなく、それよりも遥かに少なく商品を生産するためだ。

アートというのは、基本的に一点物か、あるいはリミテッド・エディションである。また、作者として名付けられたアーティストが作成していないことも多い。

クラフトマンシップ原理主義者ではないが、私は「アーティスト本人が手(肉体)をつけて作った作品」が欲しい。

アウラが欲しい)

今現在、世界を代表する「現代アート」の作者だって、前述した「西洋アートのルール」に則ってそうもない作品はたくさんある。その作者が生きている限りはそれなりに売れるだろうが、ジェフ・クーンズなんか、死後に作品の価値は急落するだろうと今のうちに予測しておく。

(外れたら謝ります)

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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