守銭奴と総会屋のメタメッセージ

誠意は言葉ではなく、金額であると福留は球団と年俸交渉時に放ったそうだが、社会人ならこの説に反論はできないだろう。

労働環境も金額と同じくらい大切だが、プロ野球のような人気商売=金を払ってでもなりたい人が絶えない仕事・業務においては、事情は異なる。 

練習は時間外労働と見做せるかも知れないが、スポーツ選手は一般的なサラリーマンのような、人がやりたくないことを代わりにすることで報酬を得る原理とは異なる原理で動いている。

話を本筋に戻すが、「誠意は金額で示されるべきだ」の論題に考えを寄せるたび、連想的に総会屋が私の頭に浮かぶ。

私がいう総会屋とは、「物言う株主」としての総会屋ではなく、ヤクザのように因縁をつけて金をせしめようとする連中のことだ。

金を払えば黙るというメタメッセージ

ビジネスのグレーさや、個人情報の取り扱いの不味さなど、人権やプライバシー権を論点にし、あるインターネット評論家が、特定企業を執拗に攻撃したとする。

攻撃対象となっていた企業が、その評論家に顧問の地位あるいは株式を譲渡した途端、その攻撃が止んだとき、それまでの攻撃的言論は一体なんになるのか?

メッセージが発せられた意図は、文面だけ見て判断すれば「事業の停止」あるいは「事業の改変」である。しかし、正義を掲げて言論を展開していた人間が、金を渡すだけで黙ったとき、メッセージの意味は変わるのだろうか?

「金を払えば黙ってやる」と一義的に解釈できる言説は、「総会屋の言語」と呼称できる。

言説そのものだけ見れば、個人情報と取り扱いをもっも慎重にしなければならないだろうとか、カードローンの審査はもっと厳しくしなければならないだとか読み取れるかも知れないが、その言説を展開する人間に金を渡して黙ったのなら、その者が言いたかったことは「金をよこせ。そうすれば黙る」だろう。

アイロニーでもなく、メッセージの形式・目的・その発語が発する上位のメッセージを読み込む。そういった営為はある。

タイトルは忘れたが、精神科医三人が鼎談する本の中で、「ナルシスティックな動機で診察に来るヒトは、治療しないようにしている」と三人のうちの一人が語っていた。

語られた内容は悲痛な叫びでも、自己愛から由来する語りだと判断すること。キャバクラ なら許されることでも、精神医療科では許されない営為がある。

賠償金と赦し

内田樹は、責任というのは本来誰にも取れないとWebで語っていた。

殺された息子の賠償金を設定し、それを犯人に突き付けたとする。では、その賠償金が支払われば全てはチャラになるのだろうか? そうではない。

世の中には、ゴメンで済まない問題が山ほどある。そして、被害者が賠償と謝罪を要求したとき、その被害者が本当に求めているのは、本当に言いたいのは何なのだろうか?

殺人ならば、「その人を返してほしい」「生き返らせてほしい」だろう。だが、そんなことは誰もできないことを知っているので、被害者は要求しない。

「無意識のうちに選択肢から消去してしまっている要求」は、メタメッセージになりうる。

お笑い芸人とヨゴレの定義

下ネタを言うか言わないかで、芸人がヨゴレなのかそうでないのか決まるわけではないと松本人志は語った。

見るべきなのは、松本曰く「純粋に人を笑わせようとしているか」かどうかである。

私流にパラフレーズすれば、「手段ではなく目的となっているか」どうか。

政治的な理念を実現させるため、特定の製品を宣伝するため、あるいは作者が金が欲しいがために作られた作品はヨゴレている。そして、作者は「ヨゴレ」である。

この「手段ではなく目的」なのかどうかは、内田樹風に言えば「メタメッセージがあるかどうか」である。

「これは小説です」「これは漫才です」「これはあるあるネタです」以上の上位情報がないとみなしうるとき、その作品はヨゴレではない。

「この言説を通して、何かをこの人は言おうとしている」ではなく「この言説が、この人の言いたいことである」と認識すること、そこに「作品」概念の起源がある。

英語ならば、「Opus」とでも呼称できるだろうか? Opusは、フィクションであるかどうかは関係がない。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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