博愛を阻碍するもの

己の所属する民族、カテゴライズされるであろう民族を、”意識”しない民族主義者・ナショナリストはあり得るだろうかと考えている。

(「俺がロシア人なら、北方領土はロシアのものだっていってたろうな」など)

これは、ロジックというより心情の問題である。主義ではなく、民族意識への陶酔・没入。

植民地支配の正当化

西洋列強の新大陸殖民地化を、当時の西洋人は「優れた文明の支配」の正当化で心理的に合理化した。

ローマは遅れた文明である周辺諸地域を支配した。それと同じである云々。

民族主義とは異なるが、二十一世紀人の感覚からすれば、ならば暴力を用いた支配ではなく、技術の継承などで文明化すれば良いではないかと反論できる。中世古代の価値観は奇怪である……。

絶えず反復する呵責

民族主義は自己陶酔と一体化しなければ発動しない。「私が属すると私が信じている/(看做されている)民族Aは何も特別ではない」なる内省は、昂揚感を冷ましてしまうからだ。

勿論、根本的な水準で民族意識がない人物は存在しうる。オリンピックに出場する自国民や、海外で活躍する自国民・自民族を何も意識しないような人。想定はしうる。存在はあり得ると私は思う。

だが、何にも所属しない、当てはまらない(範疇A 人種や国籍、性別なども)人物はいないだろう。自分が何かに属していることを全く意識できない人がいるかも知れないが、私の想像しうる範囲内にはいない。

ジジェクのロシア人への呼びかけに関して

ジジェクは、この動画で愛国主義patriotism について呼びかけている。本当の愛国者とは、自国や自民族が間違えたとき、それを指摘できるものである云々。

これに対して反論はないが、問題が一つある。自国自民族の劣悪性や錯誤を強調することは、グループAの特異性を表明することでもあるからだ。

日本には性犯罪が存在するが、性犯罪は日本固有の問題ではない。性差別も日本にしかない問題ではない。排外主義もそう。

これらの諸問題を「日本固有」「日本にしかない」としてしまうという言説は、如何にグループAは特別なのかという主張である。方向性は負の方向ではあっても。 

どの道、皆自民族を気にしている

反日というレッテルは、安易に使われすぎている。工作員もまた然り。

反日だとか左翼だとか呼ばれている人たちの殆どは、日本を潰滅させたいわけではなく、日本をよりよくするために活動している。あるいは、日本の特定集団(女性等)のために働いている。

米国では、白人のフェミニストは有色人種の問題を軽視あるいは無視するとの批判がなされたりするが、もしも日本がアメリカのような多民族社会なら似たような指摘が発生していただろう。

しかし、アメリカの有色人種にしろ、貧困国の有色人種と比較すれば特権的な位置にあるのは確かであり、なぜサウジアラビアやアフガニスタンの問題をさしおいて自国の女性差別問題を最優先の課題にするのかという言葉は、看過されるべきではない。

アジア主義だとか大アジア主義にしろ、自民族偏顧の思想をアジアに廓大しただけではないかと思う。

日本人である根拠と根拠

日本語を母語としており、日本国籍を有しておれば日本人なのか。日本語を話す能力さえあれば日本人なのか。

アメリカならば、たとえ白人の両親のうち一人がスウェーデン人だろうと、英語を話してさえいればホワイトアメリカンである。両親が両方スウェーデン人でも彼がアメリカ人であると主張すれば大多数の人は認めるだろう。幼少期をアメリカで過ごしてさえいれば。

日本はそうはいかない。ベトナムや中国のように異民族を自民族として取り込んだ歴史が稀薄である。隼人や蝦夷がいた時代まで遡らねば、他民族(非日琉語話者)の包摂が発見できない。

また、普段は民族主義者でも時と場合により地域主義者(例 東京至上主義)になる場合がある。

家族愛と差別

同胞・僑胞・邦人なる語は注視すべきだ……。そこには、「我々」と「その他」の区別がある。人は、長く過ごした人や物に愛着を感じやすいが、家族愛は極めて排他的・内外区分に基づいた概念である。お釈迦様みたいなことを言うが、やはり執着は忌諱すべき思念だろうと思う。

ナショナリズムをどう定義するかは難しいが、私は「博愛を阻碍する因子」と呼ぼう。

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桜田真助
  • 桜田真助
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    平成大阪生まれ。Webライターとして活動中。仕事の依頼等はTwitterにお願いします。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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