アンチ・ハードトレーニングの根拠と理屈

燃え尽き症候群とは、精神エナジーの枯渇と言えるだろうか。
トリスタージムの代表Firas Zahabiが、トレーニングを70%の力で毎日やると言っていた。
彼曰く、トレーニングは楽しくあるべきだ。長い目で見れば、毎日トレーニングをする方が、色んな技術を覚えられるし、練習時間も確保できる。云々。
ZahabiはGSP(ジョルジュ・サンピエール)のコーチだった。総合格闘技は歴史が浅いので単純比較はできないが、ボクシングで言えばフレディ・ローチくらいにはなるだろうか?
zahabiが例に挙げるのは、キューバ・ロシアのレスリング選手、そしてタイのムエタイ選手である。彼らは、スパーリングを本気でやる人間を「素人」「アマチュア」「わかっていない」扱いをする。
言いたいことは分かる。もし本気の力でスパーをやれば、怪我もするだろうし、何より新しい技術を試すどころでなくなる。
真剣(木刀ではない、真剣)の勝負で、誰が昨日学んだ新技術を試すだろうか? 自分が最も得意な技を、得意なフォームで繰り出すだろう。
仕事に行きたくないとき
トランプ大統領が、大統領になる前の発言。
「もし、仕事をやりたくないと思ったのなら、その仕事はあなたに向いていない」
多少誇張された、(元?)テレビマンらしい発現だと思うが、Zahabiも似たようなことを言っている。
「練習は楽しくあるべきだ」
総合格闘技は、学ぶことが本当に多い。MMAの良いところでも悪いとことでもあるのだが、ストライキング・グラップリング・レスリング全てに習熟していなくても、試合に勝てる。チャンピオンになるのは難しいが、不可能ではない。
しかし、学べば学ぶほど勝つ確率は上がる。Zahabiの理屈だが、「同じ技でも、見たことのある技は遅く見える」。科学的なエビデンスを私は提示できないが、経験的に言っていることが分かる。
死角から飛んでくるパンチが危ないと言われているのは、筋肉と骨が衝撃を受ける準備をしていないためだ。予測できれば、遅く見えるし、なおかつダメージが軽減できる。
チャンピオンのアップデート
UFCの始まりは、街中にいる喧嘩自慢やプロレスラー、空手家が集まって、「だれが一番強いか決めよう」とコンペティションを始めた結果、ブラジルから来たよくわからない痩せっぽっちの柔道着を来た「柔術家」を名乗る男の優勝である。
(その男の名はホイス・グレイシー)
総合格闘技に限らず、「技術」は試合で用いた以上、秘匿することはできない。ホイスの与えた衝撃は、そのまま感染症のように広がり、いつしか総合格闘家に耐性が出来上がっていった。
UFCに出ているファイターで、下から腕ひしぎ十字固めを決められる選手は滅多にいないが、これはデフェンス方法が確立しているからである。
たとえテイクダウンされても、下からいくらでも攻撃できる柔術家の優位は、下からのグラップリングを潰せるロジックと、それを実行するフィジカル・エリート達の出現により、なくなっていった。
GSPに関しても、彼は研究対象となった。しかし、それでもGSPが長きに渡ってチャンピオンホルダーであり続けたのは、彼が細かなアップデートを絶やさなかったためである。
ここに、Zahabiの教えが現れる。トレーニングは楽しくあるべきだ、新しい技術も、楽しんで覚える。……同じ戦法を繰り返さない(なぜなら、見慣れた技は遅く見えるから!)
ドナルド・セラーニなどは、勝ったり負けたりを繰り返している。しかし、戦い方を変えていない。Zahabiは彼をどう思っているのだろうか?
反論と再反論
日本の昔ながらの部活動や、ブラジルのシュートボクセなどは、「オーバーワーク」なる概念がない。
(なかった。今は穏健派になっていることを願う)
木村政彦の伝記を読んだことがあるが、彼のトレーニングはどう考えたってオーバーワークである。しかし、木村は伝説的なチャンピオンになっている。
“オーバーワークかどうかは、人によって違う”と、Zahabiは考えない。
オーバーワークでチャンピオンになる、あるいは自分を毎日限界まで追い込む方法でもチャンピオンになれるかも知れないが、彼らがもし緩やかな、毎日できるトレーニングをすれば、もっとよい成績を挙げている…。
あくまでもZahabiの持論だが、彼の持論はトニー・ファーガソンがGSPのタイトル保持記録を抜き去らない限り、説得力を保ち続けるだろう。

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