チキンレースと道徳的優位心

「待ち合わせ時間の5分前には到着しなければならない」のなら、待ち合わせ時間ってなんやねんと私は思うが、いわゆる「体育会系の部活」のモラルでは、リミット10分前の集合が求められたりする。

社会人の商談だと、あまりに早く着きすぎると先方の予定を崩してしまう可能性があるので、5分前ないし数分前の到着がベターとされているが、なぜ部活動の人員は彼らの予定だとか事情を考慮されないのだろうか?

チキンレースと道徳的優位

大抵の宗教は、教義をもっており、教義のなかに「戒律」というものがある。「盗んではならない」だとか「豚を食べてはならない」「肉を食べてはならない」。

しかし、「豚を食べてはならない」といっても、イノシシはどうなんだとか、豚革製品は使って良いのだろうかだとか、色々と疑問が思い浮かんでくる。

そこで、戒律の解釈あるいは”拡大解釈”、消極的な・世俗的な採用が発生する。指導者…ラビだとかイマームだとか、戒律を作るのはいつも「権威」だ。そこらへんのオッサンに教義をサイコロで決めさせる宗教なぞない。

戒律・儀礼を守っていれば守っているほどエラいという価値観は、宗教に馴染みのない人にはわかりにくいかも知れない。しかし、財産を半分寄付するよりも、99%寄付するほうが「エラい」というのは、感覚でわかってくれるだろう。

財産の寄付の多寡・あるいは割合で人の道徳心を評価するというのは、非常にわかりやすい。数字で表現できるからである。

しかし、これが「いかに敬虔か」となってくると、話がややこしくなる。また、世俗に身を置いている限り、敬虔な生活というのは物理的に送りにくい。不意に女性の裸像を目にしてしまうこともあるだろうし、仕事でDMM.comと取引をしなければならないかも知れない。

物事や事象・コンテンツを聖と俗に仮に分けると、シャリーア法が厳格に適応されている国に住んでいない限り、そういった「目を汚す」出来事にどうしても出くわす。それを避けるためには、山奥に引きこもるなどするしかない。

世俗に身を置いている状況そのものが、良心の呵責の原因となる。大多数の日本の方は、「人に迷惑をかけるな」という教条を、非ラディカルにモラル化しているので、少し理解は難しいかも知れない。

「敬虔であればあるほどエラい」という価値観と、「貧しきもの。恵まれぬものを助けるべきだ」という価値観が組み合わさると、ほとんど崖上で行われるチキンレースと同じになる。モルモンだとかエホバの信者が、世界中を旅して伝道する。反対だとか、迫害はむしろ神の心情を理解するための通過儀礼である。イエス様や、初期のクリスチャンは皆迫害のなか殺された、それに比べれば……、ほとんど”苦行の末の悟り”ではないか?

「婚前交渉をするな」という教条を、「ルールだから」「そう決まっている」「戒律だから」「破ると地獄に落ちるから」または「ルールに疑問を覚えるのは冒涜である」

権威を振りかざされて納得してしまうような人間は、「道徳のチキンレース」に参加しやすいと断言できる。ヒエラルキーを作ってしまうと、「聞くに値しない意見」が誕生し、必然的にドグマティックになる。

ここまでつらつらと書いてきたが、私を含め「人間はロジックを使えない」のだろうなと最近思う。苦手なのではなく、使えない。矛盾だとかダブルスタンダードを糾弾しても、人は変わらない。そんなものに効果はない。

問題と解決

信じがたいアホを減らすためにはどうすればいいのか?ソリューションの一つとして、私は「言葉を知ること/知らせること」を唱える。

  • 類感呪術
  • 感染呪術
  • 陰謀論
  • 権威/権威主義

同水準の知能がある二人がいたとして、「陰謀論」という言葉を知っているか否かで、「陰謀論」に傾倒する割合/可能性はかなり違ってくるのではないだろうか?

「自分を見つめ直すためのキーワード」というものを、各々持つべきである。私の場合は

  • 逆エリート主義
  • 道徳的優位

この2つがマイナスの「座右の銘」として機能している。あともう3つくらい見つかれば、私はもう少し賢くなれるだろう。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

1件のピンバック

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です