意識中ぐらい系が選ぶ、ほぼ日おすすめコンテンツ5選

ほぼ日手帳」が爆発的人気を誇っているが、この成功は10年以上に渡る糸井重里および「ほぼ日」の活動抜きには語れないだろう。

コンテンツ・マーケティングなるワードが隆盛する前から、糸井はコンテンツ・マーケティングを行っていた。というより、マーケティングなんか気にせず良質なコンテンツを量産し、ファンを獲得し、ほぼ日手帳のブランドと潜在顧客を獲得していった。

「継続は力なり」というが、継続それ自体を目的としない継続は非常に困難である。それを成し遂げた彼らに、ジャスダック上場は相応しい。

(アムウェイみたいな会社だって上場しているので、名誉となるかわ分からないが)

今回は、ほぼ日のおすすめコンテンツを、意識中ぐらい系(?)の立場から選んでみようと思う。なぜなら、私自体は意識高い系でも意識低い系でもないなので、それ以外の観点からコンテンツを選べないからだ。

谷川俊太郎

リンク:詩人の命がけ

谷川俊太郎は、数少ない職業詩人の一人である。教科書に詩が載っている草野心平ですら、死ぬまで焼き鳥屋と並行して詩人をやっていたのだから、(偉そうで申し訳ないが)大したものだ。

このリンク先で印象的なのは、手紙←→詩の二項対立を語っているところ。谷川が「詩を手紙のような形式で渡す」というアイデアを語っているとき、糸井は「渡す相手が一人だと、『手紙』に近すぎるのではないか」と反応している。

谷川は『ほぼ日』の常連であり、別のコンテンツでも類似の話題を語っているが、ここで「詩を空き瓶に入れて、海に流す」というアイデアを語っている。

詩にしろ、絵画にしろ何にしろ、コンテンツ及び芸術作品は、自分の知らない人に届けなくては意味がないということを、二人の対談から私は学んだ。

なぜなら、知り合い(特に近い関係)だと、そこに詩の醍醐味である緊張と対立が生じないからである。我が子の発表会を見る親は、舞台を審美的な観点で見ていない。

HubSpot

リンク:HubSpot

この対談のクライマックスは、糸井がHubSpotの二人から「Unusual」と言われる場面だ。鼎談のなかで、糸井は組織論を語る場面があるが、HubSpotの二人が本当のところどう思ったのかは不明である。

(従業員を船員に例え、「クルー」と読んでいる当たり、糸井と『ほぼ日』が「意識高い系」と揶揄されるのも致し方ないと思う。ただ、こんな風な「意識高い系」なら、私は大歓迎する)

「どんな事業内容ですか?」と糸井が尋ねられる場面があるが、そこで糸井は謙虚に「コピーライターという仕事に飽きたところから『ほぼ日』が始まった」と語っている。

自分ならば、「任天堂と一緒に『MOTHER』というゲームを作って、大ヒットした」と自慢話を始めるだろう。

日本での起業の少なさに関して、日本の識者だと精神論や国民性に結びつけがちなところ、HubSpotの二人は「日本だと、実際に起業のリスクがアメリカに比べ高い」と、社会構造に即して語っているところは新鮮である。

話はズレるが、アメリカのコメディアンがなぜ政治ネタをやるのかについて、それは欧米のコメディアンの伝統だからだとか、日本は遵法精神と「お上に逆らわない」メンタリティがあるだとか、精神論に終始せず、「アメリカはケーブルテレビが普及しており、コマーシャルに頼らずテレビタレントが活躍できる。だから、過激な活動もできる」と、社会構造を踏まえて説明したある識者の言説を、HubSpotの分析から思い出した。

太田光

リンク:家族を作ったゲーム

おそらく、太田光が糸井重里制作ゲーム「MOTHER」のファンだったことから実現した対談が、リンク先の「時事ネタ」という扱いにくいトピックについて語っている。

太田は、この場所とは別のところで「時事ネタは、少し前のトピックを選ぶ。寝かせた方が良い」と語っていたことを覚えているが、内容はリンクしている。

近々の事件に関してネタを作ってしまうと、それは「コメンテーター」になってしまう。ウーマンラッシュアワーの漫才が批判されているのも、メッセージ性の強さ故であり、時事ネタ・政治ネタだからではない。

糸井の分析によると、立川談志と太田光は「一歩引いて」時事ネタを扱っていると言うが、それには「ネタにメッセージを込めないこと」「『分からせる』『教える』態度をとらないこと」「『ほんとうは分かっていない』スタンスをとること」などが必要だと説明している。

言っていることは分かる。アメリカのトークショーホストのスティーヴン・コルベアがなんだか少し胡散臭いのは、政治的アジェンダのために、「笑いという目的」からズレた話の運びをしているのではないかという疑念を思い起こさせるためだ。

保坂和志

リンク:小説入門

保坂節が炸裂した対談である。糸井と感性が似ているようで似ていない。いつもはチャチャを挟む糸井も、この対談ではずっと黙っている。

この対談でもっとも印象的なのは、保坂が「そんなものは努力に入らない」というシーンだ。文章にできること、文章にできないことの境目を考えるのが本当の努力であり、資料をいっぱい読み込んだとか、目につくところだけを削って磨いただとか、そんなものは努力に入らない。……

「小説らしい小説」=プロットの豊かな小説を書かないことで有名は保坂だが、そもそも彼にはプロットの起承転結に対する興味が薄いように思える。

保坂和志が惹かれるのは、「風景」である。この「風景」とは象徴的で暗示的なワードで、「パターンに回収されないシーン」を意味している(と、私は解釈している)。

谷川俊太郎と松本大洋

リンク:詩人と漫画家

谷川俊太郎が二回出てきてしまったが、それは仕方ない。そもそも、谷川その人自体が『ほぼ日』に複数回出ているのだから、むしろこの選出が糸井の思惑に従っている。

ここでは、谷川俊太郎と松本大洋が共同制作した絵本「かないくん」の完成に際して、初めて二人が顔合わせした記録である。

松本の母と谷川が知り合いだったらしく、松本が中学校3年生のときに谷川と出会ったときのエピソードなどが語られるが、記憶力薄弱らしい谷川は、そのことを覚えていない。

「今はもう、死ぬことが楽しみですね」と語る谷川の達観した視点と、「漫画は、方法論的には小説と似ている」と語るシーンは、読み応えがある。

谷川は、哲学者の父親から詩にドラマがないと言われ続けてきたそうだが、谷川流のドラマとは、人間関係にあるのではなく、自然を相手にしたものである。

また、松本が「自分には好みがない」と一歩手前のコンプレックスを語っている。

非常にカジュアルな雰囲気で進められる対談だが、話題のトピックは「同級生の死」など重たいものも多い。そのギャップを含め楽しんで頂きたい。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@yamakawa6500
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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