お笑い芸人の尊大さと卑屈はどこから来るのか

「お前は俳優気取りか」なる悪口をバラエティ番組でよく聞く。また「自分のことを面白いと思っている俳優」の悪口も同様によく聞く。
他人をバカにする言動は、お笑い芸人のオハコである。「調子に乗った一般人」もそうだ。
これらのお笑い芸人の尊大さは何に由来するのだろうかと不思議になる。だが、考えてみるとそれほど不思議でもない。
普段接している連中がアホである
お笑い芸人は知性や思考能力に特化したひとたちではないが、売れてる人に限っては間違いなく論理的思考能力は高い。笑いは疑似的なロジックだからだ。
そんな彼らが普段接しているのは、アイドルや俳優など、仕事に知性をあまり必要とされない人たちだ。
アイドルや俳優がアホというわけではなく、平均としての話をしている。
叩き上げの俳優ならまだしも、見た目が美しいからという理由でドラマや映画にキャスティングされ、言われるがままに過剰演技をする。知性が育つ土壌がない。
視聴者から見ればわかりにくいが、現場の人間は思うところがあるのだろう。その不満が漏れている。
クリエイターの矜持と傲慢
ミュージシャンや映画監督をバカにするお笑い芸人を見たことはない。これは、彼らが少なからず、クリエイターとして共同意識を感じているからだ。
また、クリエイター連中は基本的にボロを出さない。諧謔と冗談で人を煙にまくのが得意な連中である。
また、お笑いというのはとんちんかんな発言や的外れな発言ですら快楽に変えてしまう感情なのだ、なおさらタチが悪い。
お笑い芸人の傲慢さは、クリエイターの傲慢さと同一である。だが、執拗に俳優陣やいわゆる一般人をコケにするのは、やましさに由来する部分も大いにあるだろう。
テレビで活躍している大半の人は、ネタを作っていない。アメリカのようにステージで大いに稼げるのならまだしも、日本だとネタだけで食べていくのは厳しいからである。
「カッコつける俳優」だとか「調子に乗る一般人」への悪口が、どうも捻れた自己嫌悪の発露な気がしてならない。
卑屈である立ち回りをさせられる
Aマッソの狩野がゴッドタンで不満を述べていたが、「女芸人はイケメンが登場したとき、狂喜乱舞を求められる」「普通に売れたい。キャラ付けなしで売れたい」
若者の悲痛な叫びである。だが、この類の立ち回りは女性芸人だけでなく男性芸人にも向けられる。
女優やアイドルをもてはやすお笑い芸人が、本心からそう思っているのかなど考えてはいけない。素朴すぎる。
不満が溜まった結果、芸人だけが集まるような番組で不満が漏れる。それらの楽屋話は本来オンエアーに乗る類のものではないのだが、日本ではいつからか芸能人が裏側を平気で見せるようになった。
お笑い芸人は、スタッフにとって等身大
スポーツ選手や音楽家は目に見える技能がある。彼らは職人的存在である。
役者やアイドルは、まず見た目が良い。一般人がなろうとしてなれるものではない。
その点、お笑い芸人は見た目も一般人と変わらず、親しみを覚えやすい。簡潔にいえば、彼らはスタッフの代弁者として生贄に捧げられている。
「番宣に来たやる気のない役者」の悪口がなぜ放送されるのか。これはテレビ番組制作側からの不満を口にしてくれているからだ。
また、お笑い芸人は先ほどいったように特殊技能や見た目の麗しさで生活しているわけではないので、スタッフ側が感情移入しやすい。彼らにとってお笑い芸人は、等身大のヒーローである。
共犯者であるスタッフとお笑い芸人
テレビタレント、特にお笑い芸人は「呼ばれる側」ではあっても、それが飯の種である以上事業主に性格が似てくる。
テレビは広告費によって賄われているものの、最終消費者は視聴者であり、スポンサーではない。スポンサーは事業主側だ。
お笑い芸人がどれほどへりくだろうと、逆に傲慢に振る舞おうと、視聴者の代理でしかない。
視聴者の代理行為を遂行できないテレビタレントは、一時的にテレビに出られても「ボケ」側に回されて使い尽くされる。あるいはニュースの種になる。

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