「希少なもの」になぜ人は魅入られるのか

いつでも、どこでも、なんでどきでも、望んだものが手に入る生活あるいは世界は、実のところそれほど人間にとって楽しいものではないのだろう。

量産できるものを量産せずに、品数を抑えて販売する手法を「リミテッド・エディション」というらしい。おそらくだが、人には「いつでも手に入るものは、重要なものではない」と思わせるよう挙動するプログラムが入っている。

「希少性」は、代表的な付加価値である。それは直感で分かる。

世界にはいろんなクリエイターと、いろんな会社がある

「世界に一つのクリエイターしかいない」状況ならば、「希少性」はこの上なく透明に純粋だ。ゆらぐことがない。しかし、世界には色んな「珍しいもの」「希少なもの」がある。

  • 500年前に編まれたペルシャ絨毯
  • supremeのvuittonコラボグッズ
  • 豊臣秀吉が使っていた茶碗
  • 遺品

などなど。挙げればキリがない。そして、遺品は、遺族にとって価値のあるものかも知れないが、他人にとっては通常そうではない。

「希少性」と「入手困難性」。いつか獲得できなくなる可能性。

価値として、使用価値と交換価値のほかに、象徴価値というものがある。もしかすると、「希少なもの」をもっているということは、「勝利者」であることをアピールできるのであろうか?

希少であることは、使用価値・交換価値・象徴価値が高いこととイコールではない。

珍しくて、誰も欲しがらない、無用なものは存在する。しかし、それは獲得すべきものとして認識されない。そればかりではなく、「希少なもの」として認識されないのではないか?
「希少である」と認識したとき、すでに人は「価値」を感じているのではないか? 実際に買うかどうか、所有に至るかどうかはともかく置いといて。

こちらの記事では、希少性は、人の人生が有限であることを思い起こしてくれることなどが書かれている。自由財という言葉があるが、「いつでも手に入るもの」ものは、人間の心理上「既に手に入れたもの」に近しいポジションにあるのかも知れない。既に持っているものを、人は欲しがらない。

また、同記事では「『入手できない』かもしれない恐怖がもたらす効果」についても触れられている。限定品でなくとも、「期間限定セール」「閉店セール」が、人の購買意欲を上昇させるのは市場で示されている。

「勝ち負け」。何が勝ちでなにが負けなのかは、ルールによって規定されている。

少し迂回して、「勝ち負け」の話を展開する。

スポーツにおいて、「勝ち」と「負け」は、ルールによって決められている。サッカーを例にあげれば、点数を多くとったチーム(陣営)の勝ちである。もっと正確にいえば、制限時間内に「相手」のゴール内に、ボールを相手よりも多く叩きこんだチームの勝ちだ。

プロならば、勝つことによる報酬がある。それが生活の糧になる。しかし、遊びでするサッカーの試合に、金銭的報酬はない。そして、勝負の場の前で「この勝負に勝ったらあれが手に入る。これが手に入る」と、人はいちいち考えない。

やっぱり、ニーチェがいうように人(生物)は、自己拡大を絶えず目指しているのだろうか?いずれにせよ、人間がやたらと勝ちたがる存在なのか確かだ。

希少性と価値

中島らもがエッセイの中で、「人がもし死ななければ、人は悩むことはないだろう。フラれたからといって、傷ついたりしないだろう」だいたいそんなことを述べていたのを覚えている。たとえ人の人生が無限だろうと、悩む人は悩むだろうが、少なくとも世界で巻き起こる争いの99.9%はなくなる。

価値(value)は、リソースと供給が有限である論理空間に現れる。我々は、人生とリソースが有限であるために、選択を迫られている(こちらの「経済学の考え方」に、同様のことが書かれている)。

「希少」性は、「交換価値」の前提条件だ。砂漠で砂はそのままでは売れないだろうが、楽しむことはできる。よって、自由財にも使用価値はあるし、象徴価値はもちろんある(象徴価値のないものはない)。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

1件のコメント

  • 話は逸れますが、タイトルについての一定の結論を出していこうとするのであれば、「希少なもの」の定義や客観性などをもう少し掘り下げることもヒントになる気がします。
    希少性というのは、希少だということが認知されることでよりその希少性を高めるものだと考えます。
    桜田さんが例示したように、遺物は他人にとっては無価値なものです。
    最近(?)流行り出したポケモンカードも、プレイ人口が増えたことにより、
    ブームが起こる前から希少とされていたカードの希少性がさらに高まり取引額が高騰しました。
    足ることを知らないのが最大の不幸だとかなんとかいう名言がありますが、希少性というものも気付かないだけで周りにあふれているのかもしれません。
    私にとって、家の目の前に落ちている石ころは、家の目の前にしか落ちていない石ころであり、極限に主観的に見れば希少性の高いものになります。
    ひょっとすると、他人にとっても同様に、私の家の目の前に落ちている石ころは、私の家の目の前にしか落ちていない石ころであり、希少なものになるかもしれません。(そうなると、すべての石ころが希少なものになってしまいます。これはこれで人生楽しそう・・・)
    条件を付けていけばいくらでも希少性は作り出せるような気がします。

    投げやりな命題を突き付けるだけ突き付けて去っていきますが、ふと思いついた戯言が万が一参考になるようなことがあれば幸いです。

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