キムジョンギが変えてしまいそうな参照:Reference概念 その現象に関する考察

私は絵に関して素人である。だが、興味深い事例を見つけたので、ここで皆さんと共有する。

絵を描く人たちは資料=Reference (直訳すれば”参照”だが、日本語だと資料がもっとも絵画領域におけるReferenceに概念が近くなる。

絵の先生たちはよく、「Referenceを使いなさい」という。資料を見ないで描くとクオリティが下がるし、資料を見ながら書くことはズルではない。

こちらのツイートはアマチュアのイラストレーターさんのものだが、絵を資料を見て書く大切さを霊を持って提示している。

あなたがキムジョンギでない限りは

生徒の質問

「資料:Reference を使ってなくとも、キムジョンギは正確にバイクや車、銃を書けるじゃないか」なる問いに対し、二つの対応がある。

回答一

「あなたはキムジョンギではない。キムジョンギのように記憶力が凄まじいのでなければ、資料を使うべきだ」

もう一つは

「キムジョンギも資料は使っている。彼の場合は、限りなく完璧に近い形で頭の中に資料がある」

一つ目の用法は、伝統的で慣習的な「資料」の用法に従っている。

二つ目は奇妙だ。なぜなら、キムジョンギは資料を使っていない。

手元に何も置かず絵を描いている生徒がいたとして、普通ならば「彼は資料を使っていない」と認識されるはずが、キムジョンギの場合だけ「資料を使っている」と認識される。

人間がカメラ的記憶能力を備えているとして

仮にだが、人間の記憶力が大容量のデジタルカメラのように、過去に見たものを写真や映像で記憶できる種族だったなら、絵描きさんは「資料を使え」など言われなかったろう。

「車椅子を使いなさい」と言われるのは、足が不自由な方たちだけであって、普通に歩ける人は言われないことを思い出して欲しい。

アルゲリッチは楽譜を写真のようにして記憶できるそうだが、仮にアルゲリッチが風景に関しても同じことができたら(彼女はそこまでできないだろうが)、史料を参照する必要などない。

大人に対して「補助輪を使いなさい」という人もいない。ただし、もしも才能ある人類の一部だけが補助輪なしで自転車に乗れる世界線があった場合、補助輪なしで自転車に乗ろうとすれば、その世界では叱られるだろう。

「補助輪を使いなさい。あなたは中野浩一ではない」

あるいは

「中野浩一も補助輪は使っている。ただし、中野浩一の補助輪は彼の体についている」

一部の人間を除き、人は物事・映像・オブジェクトを記憶できない。不正確で、ぼやぼやしている。

「キムジョンギも資料を使っている。それは彼の脳内にある」なる返答は、正確には

「キムジョンギは伝統的で慣習的な用法における資料:Referenceは使っていない。しかし、彼には超人的な記憶力があり、彼の記憶力はオブジェクトを正確に把持している。あなた方は、キムジョンギのようにオブジェクトを記憶できない」になるだろう。

韓国・メキシコ・インドにおける「激辛」と、日本における「激辛」の一般的な用法が異なるのと同じである。

韓国人が韓国国内で韓国人に対し、「この料理は激辛だよ」と言ったならば、それはもうとてつもなく辛いのだ。

「毒キノコ」なる名称は、人間中心主義的である。あるいは、すべての言語は人間中心的である。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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