言語化できない予感について~勘を信じろ~

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本の冒頭を読んだとき、「この本は面白そうだな」と思う。その直感が外れたこともあるが、大体は当たる。原因の見当はついていて、小説にしろ解説書にしろ、本の冒頭はその本の方向性と内容を示唆する部分であるからだ。

予感と確信

ボケを思いついたとき、お笑い芸人のよく言う「フィルターを通す」作業をする。瞬間的に、感覚的に、「このボケはウケるか」どうか吟味してから、発信している。

(悪口だが、アニメオタクの連中がこの『フィルターを通す』作業をせず、くそしょうもない発言で無理やり盛り上がってる場面を何度も目撃した)

このフィルターを通す作業があるのとないのとで、ウケる確率は断然違う。遥かに上る。もちろん渾身の練ったボケがすべることもある。

このフィルターを通す作業は、スポーツ時にどう体を動かすか”考える”作業と同じく、身体的に行われている。頭の中に(擬似的な)数式が思い浮かんでいるわけではない。

(”ゾーンに入る”状態を一度体験したことがあるが、あれは本当に勝手に体が動く。身体が自律化する感覚だ)

スポーツの動きは、生来のものではない。赤ちゃんは、口に入ったものを吸う習性があるが、ボールをコートのリングの輪っかに通そうとは発想しない。つまり、スポーツにおける動きは経験的なもの、後に人間が獲得したものである。

「理論体系」あるいはパラダイムと言ってもいいかも知れないが、我々の思考にはまず「前提=蝶番」があり、そこから理論は展開していく。

人間の言語は魔法のようには作用せず、一つの意味を表すために、いくつもの文章を要する。意味(語義)は、ほとんど無限に遡及できるかのような意味から成り立っている。

そして、我々は喋るたびにそんな「ほぼ無限」の世界に潜っているわけではなく、少なくとも「雑談」は、もっと曖昧模糊とした、矛盾とナンセンスに満ちたものだ。

「意味の生成」とは、あくまでも仮想的なモデルであり、物質的な作用に裏付けられているわけではない(少なくとも、現代の科学は「意味」の裏に潜む「意味物質」を発見していない)

ディベートの勝ち負けを決めるのは、審判だ。正式には、競技(?)ディベートだが。

ラップバトルなら、審査員あるいは観客が決めるが、「朝まで生テレビ!」は、別に田原総一朗が勝ち負けを決めているわけではない。

アメリカの大統領候補がやる「テレビ討論会」は、どれくらいの影響を実際の選挙結果に及ぼしているのだろう?仮に、壇上にのぼった大統領候補者が「私が大統領になったあかつきには、アメリカ人を皆殺しにします」と発言したとして、そいつが大統領になる未来はあり得るのか?(ないだろう。物理的には存在しうるとしても)

しかし、ヒラリーはトランプとの討論会において、常に優勢をキープし続けていたにも関わらず、選挙結果の蓋を開けてみれば、トランプが微差で勝利している。

「ディベートに負けた」屈辱は、負かした相手に恨まれる動機になり得る。説得したければ、理詰めで相手を追い込むことは得策ではない。

(仮に、あなたにうらみを抱いている”怨霊”(字義通り)と相対したとして、あなたは何をしますか?とりあえず逃げるでしょう)

「絶対に予言を外す占い師」と「絶対に予言を当てる占い師」に、違いはあるだろうか?

「議論」「討論」「ディベート」のワード群よりは、「パフォーマンス・アートの相互披露」の方が、正直しっくり来る。

「絶対にディベートに勝つ方法」があったとして、それを二人とも使ったら?……

…『「絶対にディベートに勝つ方法」は存在するが、それは世界で一人しか使えない』

言語・言説は、真似できる。模倣できる。剽窃できる。仮に、この世界に「救世主」「再臨のメシア」を名乗るものが二人現れたとして、どちらを信用すれば良いのだろう?

(牧師さん・神父さんはきっと「神に祈りなさい」と答える)

中国語(人)の部屋なる思考実験があるが、言語の上ではコミュニケーションが成り立っていたとしても、なりっているように見えたとしても、実は”成立”していない事態がありうる。中国語の部屋は「外部」の人間にとっては、普通の会話と変わらない。

(関連:スワンプマン

我々は意識していない…だろうが、「目の前にいる人間は、哲学的ゾンビではない」ことを前提に会話をしている。もし、「私以外の人間は、全て哲学的ゾンビである」と信じてる者がいたとして、そいつはまだ「羞恥心」を感じるだろうか?

(「羞恥心を感じない人間」は、他者をどう認識しているのか気になる)

道具も何もなしに、空を飛んだ人間の話を聞いたことが皆さんおありだろうか?私はない。しかし、「俺は空を飛べる」とビルの屋上から手ぶらで飛び降りた人間は、少なくとも一人はいる。

あの世で「なんでお前は空を飛べると思って、ビルから飛び降りたんだ??なんでそんなことをしたんだ?」と誰かに聞かれた際「だって空を飛べると思ったから」と本気で答えた者がいたとして、そいつは「自殺」をしたわけではなく、「事故死」?

(ブレーキをちゃんと踏んだのに、ブレーキが壊れていて作動せず、結果壁に激突して死ねば「事故死」だろう)

無意識よ、ありがとう

つまりは、そういうことだ。

(暗黒微笑)

思うに、無意識の主たる機能として、「意識が無再現に想定しうる選択肢を、フィルターをかけて削減する」ことが挙げられるだろう。

「勘」がはたらいたとき、「根拠がない」と切り捨てるのではなく、真摯に耳を傾けてみてはいかがだろうか?

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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