一般語彙・概念としてのストロングスタイルについて

テレビなどでよく「ストロングスタイル」または「ストロングスタイルだねえ」なる述懐を聞く。プロレス関連の場ではない。
元々はアントニオ猪木が言い始めたワードだが、本人もあまりよく分かっていなくて使っている。
一言、「強さを追求すること」とストロングスタイルを定義できるが、テレビ番組や我々が「ストロングスタイル」というとき、含意しているニュアンスはなんだろうか。
1.真っ向勝負をする
ブラックマヨネーズの吉田は、ストロングスタイルの代表格の芸人として扱われている。これは、彼がひとえにワイドショーであろうとお笑い芸人としての姿勢を忘れないからだ。
吉田もずっとボケ続けるわけではないが(ケンドーコバヤシのように)、ダイアンやらフルーツポンチ村上のように言い訳や逃げをしない。
もちろんスベることもあるだろうが、それでも吉田は立ち向かう。ストロングスタイルである。
「面白い話をしてください」と話を振られた後、吉田は話をしてウケをとっていた。常人ではない。
2.弱さを見せない
言い換えると、同情を誘うようなムーブをしない。こんな苦労をした、こんなひどい目にあった。泣き言を言わず、任務を遂行する。
作品を見せる前に、その作品を制作するまでの経緯を見せる行為自体が非ストロングスタイルだと言える。作品だけをドーンと置く。それがストロングスタイルである。
3.強さを貫く
本来の用法である「強さの追求」に近いが、正確には「強さを追求し、強さを顕現させる」ことがストロングスタイルである。
ただ強さを追求してしまうと、相手の弱点を突くスタイルもストロングスタイルになってしまう。
美やエンターテインメント性、あるいはエロティシズムなどを、搦手を使わず追求する。
横綱相撲なるワードがあるが、それに託された人々の願いは、ストロングスタイルの理想地点だろう。
4.慌てない(慌てた様子を見せない)
窮地のような状況であっても、慌てた様子を見せない。
不安や焦りは、弱さの兆候である。予測できない事態であっても、予測してたかのように振る舞う。
「負けるかもしれない」と考えているかのような様子を見せてはならない。ストロングスタイルは、勝利への道筋しか探さないのだ。また、探している様子も見せてはならない。
アントニオ猪木とストロングスタイル
ボディビルダーの筋肉は使えない筋肉と思われているが、格闘技やスポーツに最適化していないというだけで、一般人よりは遥かに強い。もう一つ言えば、階級がかなり下の格闘家なら高確率で勝てる。
(使えない筋肉などというものはない)
プロレスラーは真剣勝負をするために鍛えているわけではない。つまり、「弱い」存在であってもプロとして活動できるのだが、猪木はそう考えなかった。
「プロレスラーは強さを体現してなければならない」。ガチ勝負にも強くなければならない。
猪木が異種格闘技戦を始めた際は、総合格闘技はまだ勃興状態であった。しかし、それでもルール無用なストリートファイトは人類史上ずっとあったわけであり、「ケンカ」ならボクサーとプロレスラーのどちらが強いのかという疑問は誰しも抱いたことだろう。
(ちなみに、ケンカなら勝つのはこの場合プロレスラーだろう)
プロレスラーは、「強さ」という抽象的な概念の体現者・顕現でなければならないとアントニオ猪木は考えたのだろう。
プロレスラーとはプロレスを上手に演じられる人たちではなく、「強い」存在である。タフネス、スピード、テクニックにおいて卓越した存在である。猪木はそれを体現しようとした。
他のジャンルに当てはめるならば、「落語家はフリートークでも面白くなければならない」「喜劇役者は、平場でも面白くなければならない」なる言説に該当する。あるいは、ヴァイオリン(楽器)を上手に弾けるだけではなく、音楽の本質を会得していなければならない。

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