竹原ピストル「よー、そこの若いの」は紛うことなき自己啓発説教ソングである

竹原ピストルの「よーそこの若いの」は、紛うことなき自己啓発ソングであり、説教ソングである。以下に理由を述べる。

1,結局「やれ」と言っている

自分なりの方法で良いとは言っているが、竹原ピストルは結局「やれ」と言っている。そして具体的なことは何も言わない。

具体的な指示を言わず相手を励まそうとすると、どうしても自己啓発になる。市井の人間は職業ごとに悩みがあり、本当に有用なアドバイスをしたいのなら、職業上の細かい相談から始めなければならない。ただそれだとマーケットが小さいのでビジネスにならない。

広い範囲の人にメッセージを届けようとすると、必然的に自己啓発的になる。不可避である。

マインドセットに語りかける言説は、励ますものであれ物質的な価値観からの脱却を図るものであれ、逆に欲望を肯定するものであれ、自己啓発の変形でしかない。

2.「そのままのあなたで良い」と言っている

そのままのあなたで良いわけがないのだ。欺瞞である。嘘や愛想は社会を成立させるために必要な欺瞞である。

一見、竹原ピストルのメッセージは競争社会へのアンチテーゼに見えるが、この頃の自己啓発は「キャリアから降りる」「ワークライフバランス」など、仕事での自己実現に目を向けていない。

「私は自己啓発が嫌いだ」「私は自己啓発をしたいのではない」と言って近づいてくるのが、ここ十年の自己啓発のトレンドである。

図らずも、竹原ピストルはその現代的な自己啓発アプローチのフォーマットに乗っかってしまっている。本当にお金をなくしたのに、駅前で人にお金を貸してほしいとたずねてしまい、寸借詐欺のフォーマットを踏襲してしまったかのようだ。

3.竹原ピストルは散々自己啓発ソングを書いている

日頃の行いが悪いと、良いことをしても怪しいことをしていると勘ぐられる。竹原ピストルもそうだ。普段から彼はハイパーポジティブなメッセージ色の強い歌を歌っている。

仮に、竹原ピストルがかなり後ろ向きな歌詞を書いたとしても、それは自己啓発ソングに分類されうる。その楽曲自体はそうでなくとも、その歌を釣り餌にして自己啓発の世界に巻き込もうとしている戦略だと疑われる。

女好きの男の言動全てが、最終的には女体の獲得のための行動だと解されるのと同じ現象である。

4.いかにも説教しそうな見た目だ

あの風体から言葉が発せられれば、言葉は自動的に説教になる。ヤクザ風の男の言動が全て脅迫になるのと同じである。

いかにもヤクザ風な男が天気の話をしたとする。あなたはそこからメッセージを読み取らねばならない。お金がほしいのか? ここから出て行けと言っているのか? その状況にでくわしたときには、瞬時に判断せよ。一瞬の判断の遅れが命取りだ。

5.結局のところ、呼びかけている

「よーそこの」の「よー」は呼びかけである。あなたを呼び止めている。人が人を呼び止めるとき、そこには緊急性がある。タイムリミットがある。

呼び止めから説教が始まるとは限らないが、竹原ピストルにはどうやら余裕がある。何か我々に伝えたいことがありそうだ。なにかしてほしいわけでもないようだ。

この条件下で発生するのは説教である。愚痴ではない。

6.「俺の言うことを聞くな」は「俺の言うことを聞け」の意だ

「自分なりの方法で花を咲かせる」というメッセージと、「俺の言うことを聞く」は矛盾するようだが、この場合は「俺の言うことを聞くな」が優先される。

「…花を咲かせる」はあくまでもメッセージの受け取り手の人生の指針に関する発言であるのに対し、「俺の言うこと聞くな」はメッセージの性格・形式に関する発言であり、こういった場合は形式に関する発言はそうでないものの上位に立つ。

そして「俺の言うことを聞くな」というメッセージは、字義通りに受け止めれば「私が以下に発する発言の取り消し」になるが、そんなわけはない。コンピューターじゃあるまいし、そんな無駄なことはしない。

竹原ピストルが「聞くな」と言うとき、そこには「私以外の大人の」という但し書きが紛れ込んでいる。彼は、「大人」及び「権威」になろうとしている。

「大人の言うことなんて聞くな、俺以外の」これは紛れもなく説教だろう。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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